聖地ウェストミンスターの誕生
ダイアナの葬儀も行われたウェストミンスター寺院の北ファサード。ゴシックのバラ窓と塔の横に飛び出したフライング・バットレス(飛び梁)が独特の雰囲気を醸し出す
ノルマン人の支持を受けて王となり、カトリックの信仰心篤く「懺悔王」の異名をとるイングランド王エドワードは、当時の市街地の西側に新しい宮殿と寺院を建築する。西の修道院=ウェストミンスターである。
1066年、エドワードが死去するとハロルド2世がウェストミンスター寺院(ウェストミンスター・アビー)で王として承認を受ける。以来王たちはこのウェストミンスター寺院で戴冠式を行うことになり、現在の女王エリザベスもやはり1953年6月2日にここで戴冠を受けた。
ウェストミンスター寺院は同時に、18世紀までは偉人たちの墓地としても使われており、ニュートン、ダーウィン、スチーブンソン、テニスン、チョーサーらが埋葬されている。
ノルマン・コンクェストとキュリア・レジス
タワーブリッジから見たウェストミンスター宮殿全景。下に流れるのがテムズ川。川の向こうがロンドン特別区シティ・オブ・ウェストミンスター
先述したエドワードと次のハロルド2世はアングロ・サクソン人だったが、1066年9月、自らが正当の王位継承者であるとして、ノルマン人の国ノルマンディー公のギヨーム2世がイングランドに攻め込んだ。ギヨーム2世はハロルド2世を討つと、同年のクリスマスにウェストミンスター寺院で戴冠式を行い、ウィリアム1世としてイングランドの王となった(ノルマン・コンクェスト)。
征服王ウィリアム1世は諸侯の編成をノルマン人中心に変え、その過程で大きな領地を持つ諸侯がいなくなるよう領地を分散させるなどの工夫を凝らし、王の権力を増大させた。同時に大会議キュリア・レジスと呼ばれる諮問機関をウェストミンスター宮殿に置き、諸侯に参加させた。
分散し、力を削がれた貴族たちはキュリア・レジスを中心にお互いより密に協力し合うようになり、王との対立を深めていくことになる。