エルサレムの歴史1 ユダヤ人国家の成立と滅亡
嘆きの壁で祈りを捧げるユダヤ教正統派と呼ばれる人々 ©牧哲雄
ユダヤ人たちは神が約束した聖地カナンを求めて中東の地をさまよい、紀元前1,000年前後、ついにヘブライ王国を建国する(出エジプトの様子はエジプトの世界遺産「聖カトリーナ修道院地域/エジプト」の記事でも紹介しています)。
一時イエスの遺体を収めた棺のある聖墳墓教会の小聖堂エディクラ。この下に最初の人間アダムの遺体があり、イエスの血が注がれて原罪をあがなったと伝えられる ©Jlascar
しかし、ヘブライ王国はやがて南北に分裂し、北のイスラエル王国はアッシリアに、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされてしまう。紀元前6世紀、新バビロニアのネブカドネザル2世はエルサレム神殿を破壊すると、多くのユダヤ人を捕虜として連れ去った(バビロン捕囚)。新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのもとでユダヤ人は祖国に戻ることを許されると、多くのユダヤ人がエルサレムに帰還する。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の援助で建設された巡礼宿、オーストリアン・ホスピスから眺めたエルサレム旧市街
エルサレムの歴史2 キリスト教とローマ帝国
聖墳墓教会のゴルゴダの丘で祈りを捧げる人々。プロテスタントではイエスは旧市街の外で処刑されたと解釈しているため、ゴルゴダの丘がもう1か所ある ©牧哲雄
イエスが世を去ったあとの66~70年、ユダヤ人とローマの間でユダヤ戦争が起こり、エルサレム神殿は徹底的に破壊されてしまう。当時の神殿の面影を残すのは神殿の丘の西面だけで、ユダヤ教徒がこの破壊をここで嘆いたことから「嘆きの壁」と呼ばれることになる。以来エルサレム神殿の再建はユダヤ教徒の悲願とされ、現在に至っている。
イエスが最後の晩餐のあと祈りを捧げたオリーブ山のゲッセマネの園 ©牧哲雄