「フランス語で自分の意見を述べる!」このことを語学学習の到達目標に掲げているフランス語学習者は多いはず。ところが、日本語ですら自分の意見が言えない、フランス人に「Pourquoi?(なぜ?)」とたずねられるとパニックに陥ってしまうという方も多いというのが現状ではないでしょうか?今回は、そんな自分の克服法を語学学校Académie Tokyo-Parisの校長であり、NHKラジオアナウンサーとしての経歴ももたれているEmmanuelle BODIN(エマニュエル ボダン)先生に2回シリーズでお伺いします。
即興を恐れる日本人、平凡さを恐れるフランス人
笑顔の素敵なBodin先生 |
Bodin:日本人がles questions impromptues(即興的な質問)を恐れることはよく知られています。失敗を恐れてinterview(インタビュー)の前にla liste des questions(質問リスト)を提出させたりすることは日常茶飯事です。一方、フランス人が恐れるのは、une discussion intéressante(興味深い話し合い)を妨げてしまうようなsilence(沈黙)もしくは banalités(平凡さ)です。この2つを前提としてあげることができると思います。
弊害の一つとしてあげられる学校教育
越智:では、日本人のこうした自己表現に対するcrainte(恐怖)はどこからくると思われますか?Bodin:おそらくいくつかの要因がからみあっていると思いますが、まず第一にはéducation(教育)ですね。最近では幾分変化しているようですが、日本の学校教育の根底にある原則は、écouter(聞くこと)そしてできる限り忠実にreproduire(再現すること)です。
日本では手を積極的に挙げる光景は学年が進むにつれて激減する |
越智:日本の子供たちが4年生くらいになると突然授業がやりにくくなるというネイティヴの英語の先生のお話を聞いたことがあります。個人差はあるにせよ子供の沈黙の時期が、周囲の状況に敏感になる時期に重なるとすれば、周りを意識する=黙るという図式がやはり日本社会のネックにはあるのかなと。(笑)
Bodin:そうですね。日本では、なによりもまずグループの中に溶け込んでharmonie(調和)を見いだすことが必要です。この意味では、誰かをgêner(困らせる)、あるいはpolémique(論争)をひきおこしたり、leader(リーダー)にさからうようなopinionは好まれません。それ故、banalitésの中にとどまることが多くみられます。日本人のcommunication技術は、このbanalitésを感じ良く、エネルギッシュに伝えることにあるのです。
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