重なる不運
「あ、○○ちゃんのお宅ですか?」と、男性の声が娘の名を言ったのでドキンとした。「はい…」いぶかしげにそう答えると、「こちらは××文具という、文房具店なんですが」「はぁ」「実はですね、お宅の娘さんが、ちょっと困ったことになってまして」「えっ? どういうことでしょうか?」「あのー、ウチの商品を買わずに持って出るところだったんですよ」「!」「それで、ウチとしては女の子がまだ小さいし、警察に届けるほどではないとは思うんですが」
「はい」「ただね、やっぱり親御さんは知っておかないといけないと思うんですよ。それで、やっとこちらの電話番号を聞きだしたものですから」「は、はい。どうも。申し訳ありません。あの、すぐにそちらに参りますので」「そうしてもらえますか?」「ええ。すぐに、あの、すぐに出ますので」「場所はおわかりですか?」「わかります」「じゃあ、待ってますんで」「はい。スミマセン。どうも、本当に…」電話を切って、すぐにエプロンをはずした。
テレビに熱中している息子に「すぐに帰るから」と声をかけると、「うん」と顔も向けないまま返事をされた。文具店に走っていくと、店の奧の事務所に招いてくれた。娘は不安そうな顔で母を見た。「娘さんがね、こちらの消しゴムをそのままポケットに入れて、出ていこうとしたものですから」「まぁ。本当に申し訳ありません。スミマセンでした。ほら、あなたもちゃんと謝って」娘にそう促すと、「ごめんなさい…」と小さな声で言った。
「いや、でもよかったですよ。お母さんが来てくださって。ちゃんとお子さんも謝ってくれたし。いやー、中には金さえ出せばいいだろうなんて親御さんもいたりするんでね」「はぁ」「まぁ、ウチも商売なんで。お気を悪くされないでくださいね」「とんでもない。悪いのはウチの子ですから。あの、もうしっかり言い聞かせますので。本当に、本当に申し訳ありませんでした」平身低頭する奈美恵に、店主も安心した様子だった。
家路を娘の手を握って一緒に歩きながら、奈美恵は何も言わなかった。何も言えなかったのだ。子どものほうが心配になったようで、「おかあさん」と呼んだ。奈美恵は返事をしたつもりだった。だが、声が出なかった。泣いていたのだった……。母親は万引きをきっかけに売春を始め、運良く罪は問われなかったが、今日、警察署まで連れて行かれた。その日に、娘が万引きで捕まった。警察には知らされなかったが、罪は罪だ。パートの仕事先のスーパーでも何人も万引きで捕まった老若男女を見てきている。
まさか、我が子がそんなことをするとは。歩きながら、涙を流している母を見て、娘はひどく驚いた。「おかあさん、ごめんなさい。もうしないから。絶対にしないから、泣かないで」母親が泣くほどのことをしたのだと、衝撃を受けたようだった。「もう、絶対に万引きなんてしないって約束してね」やっとそう言うと、「うん。おかあさん、ホントにごめんなさい」ギュッと手を握る娘に、さらに力強く握り返した。
→夫の告白
→→奈落の底を打つ