池田小学校での事件
大阪池田市の小学校で、児童8人の死者を出すという凶悪な事件が発生しました。その他重軽傷者も含む、現場にいた小学生らの心の傷ははかり知れません。連日、犯人の頭がおかしい人を装うつもりだったという、刑法第39条を逆手に取ろうとした事件の計画性や、その残虐性が報道されています。【刑法第39条】心神喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス(心神喪失者の行為は之を罰せず)
「エリートの子供を襲えば確実に死刑になれる」などと供述しているという犯人は、その悪質さ、狡賢さが際だっています。いたいけな子供達を次々と殺傷しても、いまだに謝罪の言葉ひとつ出さずに、別れた妻らへの恨みごとばかりだといいます。なぜ小学校を襲ったのか、明らかにはなっていませんが、犯人の「卑怯な手口」には万人が憤りを覚えるところでしょう。
よく、通り魔などの無差別襲撃事件の犯人が「誰でもよかった」と言いますが、これはこの言葉通りに受け取ってはいけません。「誰でもいい」のではなく、彼らは間違いなく「自分が襲える、弱い者」を襲っているのです。無差別襲撃事件の被害者はいつも「子供、女性、高齢者」などです。たとえば、身長が185センチ、体重が100キロもあるようなたくましい男性は、被害を受けることはほとんどありません。無差別といいながら、弱者を選んでいるという事実を忘れてはいけないのです。
こういった事件を起こすような人たちは「卑怯」なのです。臆病で小心者。品行が卑しく下劣なのです。無垢な子供達を襲うなど、卑怯者以外の何者でもありません。しかし、悲しいことに襲撃者の前に弱者は身を守るすべをもちません。今回のケースは、午前中の小学校内に侵入して、次々に子供を襲うというあまりにも意外性、凶悪性の強い事件内容です。「学校は安全」という、誰もが持っていた概念を根底からくつがえしたのです。
しかし、本当に「学校は安全」なのでしょうか? 実はこれまでにもたびたび学校への不審者の侵入事件は起こっています。記憶に新しい、99年に京都私立日野小学校で2年生男児が殺害された事件(てるくはのる)を始め、学校への侵入事件は10年前の1.7倍にも及んでいます(警察庁)。
→“死角”の問題
→→安全確保のために