“死角”の問題

97年に「スポーツニッポン」(スポニチ)紙面で、「危機管理マニュアル・もしも・の時」という私が書いた連載記事の中で「校内にも魔の手」と題した記事(97年11月30日)があり、文中に「学校内でも安全ではないことを理解しておこう。~部外者の出入りや校内の監視など、学校の管理態勢も問われる」と書いてあります。このように、すでに4年前に学校での危険性を訴えていたのですが、安全神話の前に、私の警告の無力さを感じています。

開かれた学校、というプラスイメージの学校開放は、同時に不審者の自由な侵入を許すものです。「安全は、万全の安全管理のもとで」初めて得られるものという認識が必要です。「不特定多数」とは、そこにごく少数の「不審人物」も含むのです。

それが千人あるいは万人に1人でも、凶悪事件の発生などによる被害は甚大です。常々「危機管理」について述べていますが、「最悪の事態に備えること」が重要です。「起こらないかも知れない、起こってほしくないことだけど、もし起こったら、どうするか?」を考えておくことなのです。

実は死角がいっぱいある、学校という建物。「死角」とは「Dead angle(デッドアングル)」つまり、「死んでいる角度」ですが、私はいつも「死を呼ぶ角度」あるいは「死ぬ角度」と言っています。死角をなくすことが、安全を引き出すことでもあります。死角は場所だけではありません。人物にも、時間にも、あることを知っておきましょう。

その考え方を徹底すれば、被害を受けやすい子供達の大勢いる学校では、不審者の侵入に対して厳重な警戒が必要であることがわかります。学校は教室など部屋がたくさんあり、トイレの数なども多く、死角が実に多いのです。

また、児童の保護者の来校もあるでしょうから、大人の行き来も不自然ではありません。建物が大きいので、どこかしらで工事などをやっていれば、作業服の人もいておかしくないでしょう。しかし、その人物がはたして本当に保護者なのか、そこの作業員なのか、どうやって見分けるのでしょうか? これはIDカード等で明確にしなくてはなりません。

→安全確保のために