1980年代末、山崎蒸溜所の設備大改修が2003年に実を結ぶ
左・ISC2010「山崎1984」シュプリーム・チャンピオン・スピリット(全酒類部門中1位)受賞/右・居酒屋での角ハイボール人気
日本は経済的に豊かになり、生活のさまざまな面で多様化が見られはじめ、酒類も同様であった。割材としての焼酎甲類の人気の高まり、それによる本格焼酎(乙類)への注目も感じられるようになった。また大手メーカーが君臨していた日本酒業界は、地酒である小さな蔵元の吟醸酒に目が向けられるようになる。さらには居酒屋で冷酒が飲まれるシーンが増えていく。
ビールは80年代絶好調であった。バーは本格カクテルで魅了するバーは健在であったが、70年代後半からつづくカラオケブームによってスナックに模様替えする店も多数あった。
80年代後半から90年代はじめはバブルといわれた時代であり、高価なコニャックがかなり飲まれていた。しかしながらバブル崩壊とともに急激に数字が落ち込み、ウイスキーよりもさらに苦しい時代を迎えてしまう。
この間、山崎蒸溜所は1989年に新設備での製造がはじまり、またこの年にサントリーの原酒たちが美しいハーモニーを奏でる「響」を誕生させている。ここからモルトの香味特性を謳う時代に入り、次第に熟成樽、エイジングといったつくりの面を語るようになる。
こうした動きのなかで少しずつ注目を浴び、やがてスコッチのブレンダーたちも羨むほどに評価されたのがサントリーのお家芸である和樽、北海道産ミズナラ樽熟成モルトだった。白檀、伽羅といったオリエンタルな香味とともにココナッツや柑橘の甘みも潜むミズナラ熟成モルトが「響」「山崎」において重要な役割を担っていることが広く知られるようになる。
そしてウイスキーの販売数量が落ち込んでいくなかで、辛抱強く香味品質をきちんと語りつづけていく。1990年代に入ってからは日本の酒類史上初といえるワインブームが巻き起こる。赤ワインに含まれるポルフェノールと健康志向とがうまくリンクした。
ウイスキー受難の時代ながら、1994年にはシングルモルトウイスキー「白州12年」とブレンデッドウイスキー「響21年」を発売する。さらには1997年には「響30年」を登場させ、極めて高品質なプレミアムウイスキーの世界を充実させていく。
一方で21世紀を前にしてワインブームは鎮まりつつあった。しかしながら次には本格焼酎ブームが訪れ、2000年代前半は焼酎が圧倒的な数字を記録する。
そんななか「山崎12年」が毎年ロンドンで開催される世界的権威ある酒類コンペティションISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)2003で、日本のウイスキー史上初となる金賞を受賞する。これは1980年代後半の山崎蒸溜所大改修の成果を物語るものだった。1989年からつくり込まれたモルト原酒の香味が大きく貢献しており、香味品質向上の証といえた。伝統技術を継承しながらも革新を加えていく、時代を超えて脈々と受け継がれていく技の結晶である。
このISC2003での「山崎12年」評価をわたしはとても喜んだ記憶がある。審査員は世界の蒸溜所のマスターブレンダーをはじめ製造責任者が務めているのだが、彼らの評価に“ノーブル”(noble/高貴な、気高い)という表現があった。日本のシングルモルトを代表する「山崎12年」の香味に品格あるワードで応えてくれたことに感激したのだった。これによりミズナラ樽熟成モルトへの注目度をさらに超え、新たな脚光を浴びることになる。
この受賞を機に、翌年から「響」「山崎」「白州」といったブランドが数々のコンペティションで高評価を得て最高位を受賞するようになり、日本のウイスキーへの評価、人気が高まっていった。
そしてついにハイボールブームが到来する。焼酎ブームが沈静化していくなか、2006年あたりから少しずつウイスキーのソーダ割りが話題となりつつあった。それが「角瓶」を主役にした角ハイボールブームを呼び起こすことになった。年を追うごとに人気は高まり、2010年になると「角瓶」人気は凄まじいほどの高まりをみせるようになる。
そしてウイスキーが酒類市場での大復活を果たし、さらには大きく成長していくのだった。
(『山崎蒸溜所100周年17/次の100年に向けて朗報「山崎12年」ISC2024シュプリーム受賞』はこちら)
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