チェスキー・クルムロフ歴史地区
ブルタヴァ川と、右に見えるかわいらしい塔がチェスキー・クルムロフ城のフラデークの塔
ブルタヴァ川(モルダウ川)がΩの字型に流れるその中央にはオレンジ屋根とパステルカラーの壁がかわいらしい家並み。街を見下ろすようにしてそびえ立つのはピンク色の塔が目印のチェスキー・クルムロフ城。城や街の壁には彫刻と思わせるだまし絵が描かれており、これもとても温かい。おとぎの国を思わせるこの街のあだ名は、誰がいったか「眠れる森の美女」。一時街ごと放棄されたために、中世そのままの街並みをいまに伝えている。
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イスタンブール歴史地域
アヤソフィア。正教会の中心として東ローマ帝国の心臓部となっていたが、16世紀にオスマン帝国がこの地を征服した後はモスクに改修された
ボスポラス海峡を隔ててヨーロッパとアジアにまたがる古都イスタンブール。古来交通の要衝として発達したこの街は、330年にコンスタンティノープルとしてローマ帝国の首都となり、分裂後は東ローマ帝国の首都であると同時に正教会の中心として栄え、1453年にオスマン帝国が支配してからもイスタンブールと改名して首都であり続け、約1,600年の間、帝都として繁栄した。
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ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
ギョレメ近郊にあるゼルヴェ屋外博物館のキノコ岩。カッパドキアといっても場所によって奇岩の種類は異なる ©牧哲雄
大地から突き出した無数の岩の上には帽子のような石がちょこんと乗っている。このキノコ岩が連なるあまりの奇観に人々はこの岩の下に神が暮らすと考えて、岩々を「ペリバジャ=妖精の煙突」と名づけた。やがてこの神の地がキリスト教徒に見出されると、ローマやイスラム帝国に迫害されていた人々が集まり出し、外からわからぬよう奇岩の中に教会を掘り、地下100mをゆうに超える巨大な地下都市をいくつも造って信仰を守り抜いた。
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ヒエラポリス - パムッカレ
パムッカレの石灰棚。かつてはこの温泉につかることができたが、現在は一部で足湯が認められているのみ ©牧哲雄
流れる温泉は湯気をゆらゆら上げて、城のように積み上がった純白の石灰棚を綿花のようにふわふわ揺する。まさに綿(パムック)の城(カレ)。驚異的な景観と温泉の効能によりローマ時代以前からヒエラポリスと呼ばれる温泉郷として栄えていた。ローマ帝国が支配すると温泉所や神殿、円形劇場、共同墓地などを建設して、ヒエラポリスは温泉都市として発達する。
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エフェソス
エフェソスのランドマーク、セルシウス図書館
地中海に点在する古代ローマ遺跡の中でも随一の美しさを誇る古代都市エフェソス。ランドマークであるセルシウス図書館やバシリカ、大劇場など壮麗な遺跡が多数点在するほか、構成資産には「世界の七不思議」に選出されたアルテミス神殿跡や、パワースポットで知られる聖母マリアの家、使徒ヨハネ最期の地・聖ヨハネ教会など数多くの見所が存在する。
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アルタのロックアート
弓を射る人間とシカの岩絵。色は見やすくするために後年着色された
1970年代に、北極圏に位置するノルウェーの海岸線で3,000点にも及ぶ岩絵が発見された。その絵のモチーフは人間、クマ、トナカイ、シカ、クジラなどで、太古の人々が動物を追っていたり、ソリや船に乗ったりしている様子が生き生きと描かれていた。絵が描かれた年代は紀元前4000~紀元前500年の間のおよそ3,500年にわたっていると見られており、土地の隆起にしたがって絵の位置が年代順に移動している。