武器性能を向上させるために鉄砲(IT)に目をつける
尾張兵は弱く、織田信長も自覚していました。朝倉義景、浅井長政連合軍と戦った姉川の戦いでは織田信長の13段の構えが11段まで崩され、徳川家康の援軍のおかげで助かったとも言われています。兵が弱いので工夫したのが武器性能の向上です。ランチェスターの法則というのがあります。ランチェスターの法則とは第一次世界大戦の頃、イギリス人のエンジニアだったランチェスターが戦闘機の戦いに注目して編み出した法則です。日本では田岡氏がマーケティングに応用して弱者の戦略(差別化、局地戦、一騎打ち)、強者の戦略(ミート戦略、物量戦)を編み出しコンビニのドミナント戦略などに応用されています。
ランチェスターの法則では軍の戦闘力は「武器性能×兵員数2乗」で計算されます。兵員の数が多い方が有利ですが、兵の数が同じならば武器性能が大きい方が勝ちます。そこで信長が目をつけたのが鉄砲です。
情報ネットワークを通じ鉄砲の利点を知る
信長は重商政策をとるために楽市・楽座や道路整備を行いました。各地から商人が集まりますが、情報も集まることになります。宣教師を通じてヨーロッパの最新事情も集めていました。また日蓮宗ネットワークがありました。織田信長自身はキリスト教の布教を許したり、どうも無宗教にちかかったようですが、日蓮宗とはなんらかの関わりがあったようです。
鉄砲は遭難したポルトガル人によって種子島へ伝来しますが、当時の種子島の当主は種子島時堯で日蓮宗でした。日蓮宗の人脈を通じて信長は早い時期に鉄砲の有効性を分かっていたようです。
”本能寺の変”が起きますが、本能寺はもちろん日蓮宗です。
鉄砲(IT)を効果的に駆使する
信長は鉄砲の有効性が分かっていたので、鉄砲の産地で貿易港でもあった堺をおさえました。信長・徳川連合軍が武田勝頼と戦った長篠の戦いがあり、武田というと騎馬隊のイメージがありますが、意外にも武田軍には鉄砲がたくさんありました。ただ鉄砲があっても弾と火薬がなくては無用の長物になってしまいます。
火薬には硫黄・木炭・硝石が必要ですが、当時は硝石を輸入に頼っていました。堺の港をおさえた織田信長は硝石を手に入れ、東国への流通を制限しました。つまり経済封鎖です。これで同じ鉄砲ながら武器性能をあげることがえきました。
信長は鉄砲の有効性を理解していましたが、集団での活用についてはそれほどでもなかったようです。石山本願寺との10年におよぶ戦いの中で、雑賀衆の鉄砲隊に負け、自身も怪我したことから鉄砲による集団戦法が有効なことを学び、長篠の戦にいかしました。
ITを活用できる環境は戦国時代と同様、すべての企業に平等です。織田信長は日蓮宗ネットワークや物流を整備することでいろいろな情報を収集し、分析し、どう戦いのやり方を変えたらよいのか考え続けました。皆さんの企業でもIT活用をしっかり考えていきましょう。
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