世界遺産/アジアの世界遺産

エフェソス/トルコ(3ページ目)

地中海に点在する古代ローマ遺跡の中でも随一の美しさを誇る古代都市エフェソス。その周辺には「世界の七不思議」に選出されたアルテミス神殿跡や、パワースポットで知られる聖母マリアの家、使徒ヨハネ最期の地・聖ヨハネ教会など数多くの見所が点在する。今回は2015年に世界遺産登録されたばかりのトルコの世界遺産「エフェソス/エフェス」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

エフェソスの構成資産1. 古代都市エフェソス

セルシウス図書館

セルシウス図書館。エフェソスの統治者セルシウスを偲び、その息子が父の墓の上に図書館を建設した。現在でも地下墓所に石棺が安置されている

公衆トイレ跡

公衆トイレ跡。ローマ時代の生活が垣間見られる

エフェソス観光の中心となるのがヘレニズム~ローマ時代にかけて建設された古代都市エフェソスだ。当時この遺跡の北と西に海岸線があり、一大貿易港として繁栄していた。

南のクレテス通り、セルシウス図書館から大劇場に至る大理石通り、大劇場から西に延びるアルカディアン通り(港通り)、大劇場から北に延びるスタジアム通りの4本の通りを中心とした遺跡で、アルカディアン通りの先に港があった。20以上の遺跡が残されているが、主なものは以下。

 

■国営アゴラ
160×73mほどの広場で、古代ギリシアのアゴラ同様、立法・行政・司法・宗教の中心で、重要行事が執り行われた。大理石通りにあるアゴラは商業アゴラと呼ばれ、経済活動の中心となっていた。

■ヴァリウス浴場
ヴァリウス浴場

ヴァリウス浴場。他にスコラスティカ浴場や海の浴場などがあるほか、アヤスルクの丘には数多くのハマム跡が見られる

ローマ浴場の跡で、冷水・温水・サウナ・床下暖房・マッサージ室を備えていた。ローマ帝国の福祉施設のひとつで、貧富の差なく利用することができた。

■プリタネイオン
もともとは、かまどの神ヘスティアを祀った聖所で、巫女たちの手で24時間休みなく聖火が燃やされており、炎は民衆の生活にも利用された。その後、議事堂として改修された。

 

■ハドリアヌス神殿
ハドリアヌス神殿のメドゥーサ

ハドリアヌス神殿のアーチ(上)とまぐさ石(下)。まぐさ石に彫られているのは見た者を石に変えるというメドゥーサ像

皇帝ハドリアヌスに捧げられた神殿。アーチやまぐさ石の彫刻・レリーフがとても精緻であることで知られており、幸運の女神ニケや蛇髪の怪物メドゥーサ、女神アルテミス、アマゾネスなどの姿が描かれている。

■トラヤヌスの泉
ローマ皇帝トラヤヌスに献上された泉で、エフェソス山中から引かれた水はここに到達した。人々の飲み水としてだけでなく、火事の際には消火活動にも使用された。

 

■セルシウス図書館/ケルスス図書館
セルシウス図書館とその周辺

セルシウス図書館とその周辺

117年に建設された大理石造りの美しい図書館で、10000冊以上の蔵書を誇り、アレキサンドリア、ペルガモンと並んで世界三大図書館のひとつに数えられていた。周囲の建物より後で建てられたため、中央部分の柱を太く高くし、2階の柱を1階より短くするなど遠近法を多用してより大きく美しく見せる工夫が施されている。3世紀の地震やゴート族の侵略によって破壊され、10世紀までにすべて倒壊したが、ファサード部分は20世紀に修復された。

 

■大劇場とオデオン
遺跡の北にそびえる半円状の劇場が大劇場で、25000人を収容し、文化活動だけでなく闘技場としても使用された。一方、南に位置する劇場は音楽堂オデオンで、1500人ほどを収容した。

エフェソスの構成資産2. アヤスルクの丘、アルテミス神殿および中世の住居群

アルテミス神殿とセルチュク城砦

手前の柱がアルテミス神殿跡。奥に見える城壁がセルチュク城砦 (C) Adam Carr

セルチュク城砦

セルチュク城砦。もともとはセルジューク朝やオスマン朝といったトルコ人やアラブ人の侵略を防ぐために建設された

アヤスルクの丘とその周辺は紀元前3000年ほどから定住がはじまった場所で、4世紀に巨大な港が完成するまでエフェソスの中心としてあり続けた。港が土砂に埋もれたあと町が再興され、14~16世紀には中世の都市として繁栄を取り戻した。

■城壁とセルチュク城砦
アヤスルクの丘の中心部は城壁に囲われており、その北にはセルチュク城砦が建っている。セルチュク城砦は石とレンガで築かれた城跡で、14世紀の東ローマ(ビザンツ)帝国時代に築かれ、16世紀のオスマン帝国時代まで使用された。城壁や石畳の道路のほか、教会跡・住居跡・雨水の集水設備などが残されている。

 

■聖ヨハネ教会
聖ヨハネ教会

アヤスルクの丘にたたずむ聖ヨハネ教会 (C) Jose Luiz Bernardes Ribeiro

城壁内に位置する教会跡で、ヨハネの墓の上に建てられたと伝えられている。5世紀に最初の礼拝堂が建設されたが地震で倒壊し、6世紀に東ローマ皇帝ユスティニアヌスによって再建された。新たな教会は130×110mほどのラテン十字形で、天井に6つの巨大なドームを並べた豪壮なものだった。14世紀にオスマン帝国の支配下に入るとモスクに転用されたが、14世紀後半の地震によって倒壊した。

■中世住居跡
城壁の内外にはオスマン帝国時代の住居跡や病院跡・水路・ハマム(浴場)・墓地などが点在している。

 

■イサ・ベイ・モスク
1375年に建設されたモスクで、シリアの世界遺産「古都ダマスカス」のウマイヤド・モスクを参考にデザインされた。57×51mほどの大きさで、2つのドームとミナレット(塔)を有し、大理石で覆われた華麗なモスクだった。

■アルテミス神殿
アルテミス神殿図

16世紀、オランダの画家へームスケルクによるアルテミス神殿

アルテミス信仰の総本山とされる建物で、紀元前8世紀・前6世紀・前323年と三度建立されており、三度目に建てられた神殿はギリシア時代に選ばれた「世界の七不思議」に選出されている。125×72mで、高さ18mの円柱127本を使用したとされるが、これが本当であればギリシアの世界遺産「アテネのアクロポリス」のパルテノン神殿の倍近い規模だったことになる。残念ながら神殿は260年の大地震とゴート族の侵略によって破壊され、石材も聖ヨハネ教会やイサ・ベイ・モスクなど他の建物に転用されたことから、柱が数本残っているのみとなっている。

 

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