世界遺産/アジアの世界遺産

エフェソス/トルコ(2ページ目)

地中海に点在する古代ローマ遺跡の中でも随一の美しさを誇る古代都市エフェソス。その周辺には「世界の七不思議」に選出されたアルテミス神殿跡や、パワースポットで知られる聖母マリアの家、使徒ヨハネ最期の地・聖ヨハネ教会など数多くの見所が点在する。今回は2015年に世界遺産登録されたばかりのトルコの世界遺産「エフェソス/エフェス」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

エフェソスの歴史1. 女神アルテミスの時代

大劇場

大劇場。高さ約30m、直径約150m、220度の角度を有する。現在でもしばしばコンサートが開催されている

ハドリアヌス神殿

均整が取れていて美しく、遺跡の状態も非常によいハドリアヌス神殿

肥沃な土地、豊かな海産物に恵まれたエフェソス周辺は古代から港町として知られていた。構成資産のチュクリチ古墳は数千年のあいだ定住が行われていた場所で、古いもので9000年前の出土品が確認されている。

紀元前2500~前1200年にはトロイ、ミケーネ、クレタといったエーゲ文明が栄え、エフェソスもその影響下で発達した。「トロイの木馬」で有名な世界遺産「トロイの古代遺跡」はエフェソスの北西約200kmとほど近い。

 

伝説によると、この頃この辺りには女性が狩猟・戦闘を行うアマゾネスと呼ばれる人々が住んでいたという。母方の血筋を重視する母系制社会で、大地と豊穣の女神アルテミスを信仰し、森や海とともに暮らしていた。当時、エフェソス周辺はもちろん、ギリシアの山々やエーゲ海の島々も深い森に覆われていた。

アルテミス像

エフェソス考古学博物館のアルテミス像。胸の球体は乳房・睾丸・ハチの卵などといわれるが、いずれにせよ豊穣を表現している

この時代、エフェソスの中心として栄えていたのがアヤスルクの丘だ。この辺りは紀元前1000年頃から聖地として崇められ、アルテミス信仰の総本山としてアルテミス神殿が築かれた。この神殿は焼失などのため三度建設されているが、紀元前323年に建てられた最後の神殿はエジプトのピラミッドなどと並んで「世界の七不思議」に選ばれており、選者であるフィロンに「七不思議の他の建物がかすむほど」と称されている。

紀元前300年頃のヘレニズム時代、アレクサンダー大王によって大規模な港が築かれて、町の中心はアヤスルクの丘から海辺へと移動し、エーゲ海随一の貿易港として発達する。紀元前133年に共和政ローマの支配下に入るとアジア属州の首府として繁栄し、セルシウス図書館をはじめ、いまに残る多くの遺跡が築かれた。

 

【関連サイト】

エフェソスの歴史2. キリスト教の拡散と衰退

セルシウス図書館の円柱

セルシウス図書館、1階部分の円柱。イオニア式とコリント式の折衷様式の柱頭装飾が美しい

ローマのアジア総督アントニウスとエジプトの女王クレオパトラが結婚後に移り住んだのもエフェソスだ。ふたりはアクティウムの海戦でオクタウィアヌスと戦って敗れ、オクタウィアヌスは支配体制を確立してアウグストゥスとして皇帝に就任する。紀元前27年、ローマ帝国のはじまりだ。エフェソスは地中海貿易を担う帝国の主要港としてますます繁栄し、人口は20万人を超えたという。

聖ヨハネ教会

アヤスルクの丘に立つ聖ヨハネ教会の中心部分。この下にヨハネの墓があるという

紀元前後、イエスが十字架に架けられて殺されると、12人の使徒は世界各地に散らばってキリスト教の布教活動を行った。イエスから母マリアの面倒を見るよう仰せつかったヨハネはトルコやギリシアで布教を行い、マリアを連れてエフェソスに移り住んだという。

ローマ帝国は当初キリスト教を弾圧していたが、313年にキリスト教を公認。380年に国教化すると、392年にはキリスト教以外の宗教を禁止した。この過程で女神アルテミス信仰は弾圧の対象となり、徐々に聖母マリア信仰に置き換わっていった。

 

セルシウス図書館の女性像

セルシウス図書館の女性像。4つの大理石像は知恵・学識・聡明・高潔を表している

こうした繁栄の一方で、「神の森」と崇められていたエフェソスの森林は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべての生き物、海の魚のすべてはあなた方を恐れおののき、あなた方に支配されるだろう」(『旧約聖書』創世記より)というキリスト教の思想の下で開発の対象となり、伐採された。この頃までにエーゲ海の海岸沿いや島々の緑はその多くが永遠に失われた。

森林は牧草地や小麦畑・ブドウ畑・オリーブ畑へ姿を変え、やがて荒野となった。山から保水力が奪われると雨によって土砂が海に流れ込み、徐々に港を埋め立てた。2世紀頃から堆積がはじまり、7~8世紀には港は完全に埋まって湿地となり、しばしば蚊を大量発生させてマラリアが大流行したという。

 

町の中心は徐々にアヤスルクの丘へ戻り、繁栄は失われた。8世紀にアッバース朝(イスラム帝国)の攻撃を受けると古代都市は放棄され、廃墟となって打ち捨てられた。エフェソスの都市遺跡がどこかもの悲しいのは、こうした歴史を背負っているからなのかもしれない。
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