世界遺産の故郷 アテネのアクロポリス

ユネスコの標章は、古代ギリシア文明がもたらした精神的遺産に敬意を表し、パルテノン神殿にUNESCOの6文字を配してデザインされたという。今回はユネスコの象徴ともいえるギリシアの世界遺産「アテネのアクロポリス」とその哲学に触れてみよう。

古代都市アテネの誕生

リカヴィトスの丘から見たアクロポリス。アクロ=高所・頂上、ポリス=都市、すなわち「頂(いただき)の都市」。空とエーゲ海の青に、白の家並、大地から力強く突き出した台地と、神のように座したパルテノン神殿。天・地・人が融合した景色

リカヴィトスの丘から見たアクロポリス。アクロ=高所・頂上、ポリス=都市、すなわち「頂(いただき)の都市」。空とエーゲ海の青に、白の家並み、大地から力強く突き出した台地と、神のように座したパルテノン神殿。天・地・人が融合した景色

西を除く3方を断崖に囲まれたアクロポリスの丘は、5千年以上前からこの地に住み着いた人類を見守り続けてきた。紀元前1500年、ミケーネ文明はここに城壁を造って城にすると、やがて女神アテナの神殿が建設されて、神の住まう聖地として崇められるようになった。

ローマ時代、アテネの新市街と旧市街を分けていたアドリアヌス門 ©牧哲雄

ローマ時代、アテネの新市街と旧市街を分けていたアドリアヌス門 ©牧哲雄

ポリス(都市国家)としてのアテネはオリーブやブドウといった果樹栽培と銀の採掘によって富を増やし、やがてスパルタなどと並んでギリシア最大の都市へと成長する。もともと貴族・平民・奴隷の身分制度があった古代ギリシアだったが、商業が発達すると裕福な平民は自分で武器や防具をそろえ、重装歩兵として戦争に参加して発言権を増した。こうして平民は力を増し、貴族に独占されていた参政権を要求、民主化が進められた。

商業が活発化すると地中海の制海権をめぐって紀元前500年にペルシア戦争がはじまり、紀元前480年、アケメネス朝ペルシアの王クセルクセスは30万(ヘロドトスによると陸軍だけで200万)の大軍を率いて攻め寄せる。これをテルモピレーで迎え撃ったギリシアのポリス連合軍はわずか1万未満。奮闘するも突破され、ポリスは次々と落とされて、このときアテネのアクロポリスも破壊されてしまう。

サラミス海戦で奇跡的にペルシアを破った古代ギリシアのポリス連合は、ペルシア帝国の再来に備えてデロス同盟を結成。アテネがその盟主となり、各ポリスから集めた同盟の莫大な資金を投入して街の再興をはかった。このとき建築されたのが、いまも目にすることができるパルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの建築物だ。