世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

アテネのアクロポリス/ギリシア(2ページ目)

ユネスコの標章は古代ギリシアへの敬意からパルテノン神殿を模してデザインされた。今回はパルテノン神殿をはじめとする人類史上最高の建築物を誇る世界遺産「アテネのアクロポリス」と、ユネスコ標章に込められた想いを追う。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

アテネの繁栄と衰退

フィロパポスの丘から見たアクロポリス。アテネに丘は多いが、アクロポリスの遠景が特に美しいのはこことリカヴィトスの丘

フィロパポスの丘から見たアクロポリス。アテネに丘は多いが、アクロポリスの遠景が特に美しいのはこことリカヴィトスの丘

アテネはデロス同盟各国を実質的に支配して、ギリシア都市国家の中心として大いに繁栄した。

政治システムも高度に発達し、平民の参政権への要求に応えてペリクレスは民会(国会)を結成。18歳以上のすべての男子市民に民会への参加を認めて直接民主制を完成させた。デモス(人民)による支配(クラティア)、民主主義(デモクラシー)の誕生である。

アテネのアクロポリスの象徴、パルテノン神殿。人類が造り出したもっとも偉大な建築物のひとつ ©牧哲雄

アテネのアクロポリスの象徴、パルテノン神殿。人類が造り出したもっとも偉大な建築物のひとつ ©牧哲雄

といっても、最盛期の人口20~30万人のうち、1/4~1/3を占めていたのは奴隷。豊かな民主主義を支えていたのは、実は奴隷の労働力だったのである。

このアテネの繁栄に対抗したスパルタは、コリントスなどを取り込んでペロポネソス同盟を結成。ギリシア中を巻き込んで、デロス同盟とペロポネソス同盟の対立がはじまった。

両陣営は2度にわたるペロポネソス戦争を戦い、結局紀元前404年のアテネの降伏をもってスパルタの勝利に終わるが、その後もギリシアはポリス各国の対立が続いて疲弊してしまう。

その間に勢力を強めていたのがマケドニアだった。紀元前338年、フィリップ2世率いるマケドニア軍はカイロネイアの戦いでアテネ・テーバイ連合軍を破り、やがて大王アレクサンドロスの大帝国の一部としてその版図に入ることになる。 
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