セクシュアルマイノリティ・同性愛/LGBT

2016年、いい年にしましょう! 今年のLGBT展望(4ページ目)

2016年最初の記事は、この1年がどんな年になるかを占うような内容でお届けします。と言っても預言者ではないので、こうなったらいいな、という希望的観測です。

後藤 純一

執筆者:後藤 純一

同性愛ガイド

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LGBTムーブメントとゲイのセクシャリティ

川口隆夫「TOUCH OF THE OTHER 他者の手」

川口隆夫「TOUCH OF THE OTHER 他者の手」公演ポスター

1月17日(日)、表参道のスパイラルホールで行われた川口隆夫さんの「TOUCH OF THE OTHER 他者の手」というパフォーマンス公演を観てきました。隆夫さんは以前、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭の代表をつとめていた方であり、また、ゴトウの人生に多大な影響を及ぼしたアーティストグループ・ダムタイプのメンバーとしても活躍していて、最も尊敬するゲイアーティストの一人です。

そんな隆夫さんが公衆トイレでのハッテンをモチーフにした作品を制作したというので、万難を排して駆けつけました。

この公演は、ストーンウォール直前の頃のアメリカで公衆トイレにおける男性間性行為の調査を行った社会学者ロード・ハンフリース(彼も妻帯者でしたが、のちにゲイであることをカミングアウトしました)の研究資料に基づいています。ゲイバーが摘発を受け、逮捕されたゲイたちが犯罪者として新聞に載り、職を失い……という時代、男が好きな男たちは、家庭を持ち、ゲイバーには行かず、たまに公衆トイレなどで「ハッテン」して欲望をやり過ごしていました。ロード・ハンフリースはトイレを訪れる男たちを(ストレートの人たちから守りながら)観察し、その行動を記録し、論文にまとめることで、ゲイがストレートを巻き込んだり、子どもに手を出したりするわけじゃないということを証明してみせました。

公演では、トイレでの出会い(ハッテン)のシナリオを観客がなぞって演じてみる場面があり、自ら手を挙げて参加した方たち(女性も多数)が嬉々としてハッテン行為を演じ、拍手が起きたりしている光景に、いい意味で衝撃を受けました。LGBTムーブメントにおいて隠されがちだったゲイの性的な部分(しかも最も先鋭的な部分)が、一般の方たちに笑顔で受け容れられていたからです。

バレエガイドの小野寺悦子さんが川口隆夫さんらにインタビューをしています。作品の意図がよくわかる良記事です(川口隆夫『TOUCH OF THE OTHER』インタビュー!)。そのなかで本公演のコンセプト、構成・演出に携わったジョナサン M.ホールさんが次のように語っています。
「このプロジェクトの話をすると、必ずといっていいほど個人的な反応が返ってきます。今の社会ではなかなか語り合う場がないからか、例えば自分は17歳のときにこんなことがあったとか、作品の話をする内に何故か個人の経験談になる」(ジョナサン)

出典:川口隆夫『TOUCH OF THE OTHER』インタビュー!
 
性的なことを抑圧されてきた方たちにとって、きっと癒しになってるんですね。

こうしたハッテントイレは、ゲイが無権利状態に置かれていた時代の過去の遺物ではなく、今もあり(ジョージ・マイケルさんが1998年にLAのトイレでハッテンして逮捕されたのは有名な話です)、日本だってインターネット以前はそこら中にありました(今はだいぶ少なくなりましたが、まだあります)。ゴトウも20代の頃はトイレが主要な出会いの場でした。そして、そこから生涯忘れらないようないくつもの恋愛が生まれました。

お互いに名前も知らない(場合によっては顔も見えない)相手とその場限りのセックスを楽しむ行為はハッテンと呼ばれ(英語だとcruisingと言います)、世界的に共通するゲイの文化のひとつです。現在はトイレよりもハッテン場という専用の施設が主になっています(ゲイライターのサムソン高橋さんが世界中のハッテン場をめぐる旅行記を書いていますね)。

ゴトウなんかはだいぶ前からハッテンしてきたことを堂々と書いてましたが(よく書けるね、と言われたりしつつ)、「そういう部分を表に出さないでほしい!」 と強い拒否感を覚える方たちが多いのも事実です。それは、「ゲイが過剰に性的な存在という世間の偏見を助長するのではないか」「同性婚やパートナーシップ法の制定を目指すうえで、平気で浮気するゲイが多いという事実が不利に働くのではないか」という心配なのでしょう。でも、もしかしてそこにはセックスフォビアもあるんじゃないですか? という気もします。

川口隆夫さんは、「たとえば、『同性パートナーシップ条例』のニュースでテレビに出たり、脚光を浴びるのは、社会に認められた“シャイニー”なゲイやレズビアンの人々ですよね。だけど、シャイニーじゃない人のほうが多数派なのは、同性愛者も異性愛者も変わりません。同性婚によって“社会に認められたゲイ”が脚光を浴びることは、同時に“普通のゲイ”を周辺に押しやることにもつながってしまうんです」と語っています。この公演では、近年、多くのゲイの方たちが感じていたモヤモヤが、表現されていたと思います。

昨年、「男と寝ていながら自分はゲイ(またはバイセクシュアル)だとカミングアウトしていないような人はLGBTには含まれない」という言説が浮上し、コミュニティ内で物議を醸しました。これは、アメリカのクローゼットな政治家や弁護士などがしばしば自分がそうだとバレないように積極的にゲイを攻撃してきた(『エンジェルス・イン・アメリカ』に出てきたロイ・コーンのように)という歴史を踏まえたものだったと思うのですが、日本ではほとんどのゲイが周囲にカミングアウトしていないのが実情ですから「自分や周りの友達はコミュニティから外される……」と疎外感を覚えた方も多かったのです。

LGBTとは「OUTしていて、PRIDEを持ち、世間から後ろ指さされるようなことをしない(性的に逸脱していない)、社会的にも認められるような人たち」だということになると、そこに当てはまらない(こぼれ落ちる)人たちはどうなるの? 本当の自分を押さえつけてストレート社会と同化しろってことなの? という声も上がるわけで、その切実さは無視できないものがあると思います(ちなみに、この定義を厳密に適用すると、LGBTに含まれるゲイの方はほんのわずかになると思います。もちろんゴトウも排除されます)。

LGBT権利擁護の活動に携わる方はたぶん、ゲイやバイセクシュアル男性の、性的に奔放だったり複数の人たちと性愛関係をもつことに寛容な文化(文化人類学で言う「ポリガミー」)から目を背けがちで、できるだけそこにはノータッチでいたい、フタをしたいと感じている方が多いのではないでしょうか。ハッテン文化になじんでいる方たちは、そこを敏感に感じ取り、LGBTムーブメントへの違和感を覚えてきた、そして昨年、両者の乖離が一気にあらわになったんだと思います。性にかかわることだけに両者の歩み寄りは困難であるように見えます(自らの性的指向を意志で変えることが不可能であるのと同様に、性に関する生理的な感情ってとても強いものがあると思います)。

ゴトウは、両方の世界に足を突っ込んでおり、一時期、この問題について深く逡巡していましたが、決して両者が相容れないものであるということはない、多様性を尊重するという基本姿勢を貫くならば、必ずわかりあえる時が来る、と信じます(あの公演を観たおかげもあって、今、ようやくそういう風に書けるようになりました)

アメリカでは、もともとゲイ解放運動が性解放運動と同時期に起こってきたし、ゲイの性解放が(バスハウスの閉鎖など、エイズ禍の時代の苦難も経験しつつ)同性婚運動などと並行して進んできました。サンフランシスコで毎年開催されているFOLSOM STREET FAIRなどは、世界に冠たる性の祭典です(スゴイです)

しかし、そんなアメリカでも、さすがに結婚(モノガミー)とゲイの乱婚文化(ポリガミー)は矛盾するのでは?(結婚したら浮気は許されないはず)と思う方は多いと思います。その矛盾を解消する概念として「オープンリレーションシップ」があります。たとえばLGBT権利擁護運動の機関誌(権化)である『Advocate』でさえも、オープンリレーションシップをうまく進めるためにはどうしたらいいか、みたいな記事を載せるくらい(「The Gay Male Couple’s Guide to Nonmonogamy」)、市民権を得ています(ちなみにこの記事では、結婚している同性カップルでオープンリレーションシップを採用する方たちのことにも言及しています)

ジョナサン M.ホールさんは先ほどのインタビュー内で、
「正常化されていくなかで、必ずしも過去を捨てるのではなく、その歴史を私たちがどう扱うべきか考えていかなければいけない。いろいろな苦しみや差別を受けながら、ゲイは独自の素晴らしい文化を発展させてきた。ひととひととの関わり方が、ゲイのなかではある意味システム化されてきた」
「一般社会と異なった価値観ではあるけれど、そこに意味もあると思う。今の時代、世界的に結婚という制度が弱くなってきているのを感じます。結婚というシステムが疑問視されているこの時代に、新たなひととひととの接触の仕方や付き合い方を提示したい。私たちの歴史からいいものを残し、未来に持っていきたいですよね」(ジョナサン)

出典:川口隆夫『TOUCH OF THE OTHER』インタビュー!
と語っています。川口隆夫さんも指摘しているように、日本ではパブリックで家制度を維持しつつ、プライベートで何をやろうが自由という性愛の風土があったわけですが、ゲイの「ハッテン」がいよいよパブリックになってきた現在、そこにフタをするのではなく、連綿と続いてきた日本の男たちの性文化をどう「ハッテン」させていくべきなのか、というふうに考える時期が来たのではないかと思います。日本が欧米に遅れをとっているのはLGBTの権利という点だけでなく、むしろ性解放こそ、という気がしますし、逆に、ゲイのセクシャルなシーンって日本の方が進んでいるのかもしれない(ある意味、クールジャパン)と思うところもあったりします。ぜひ、いいものを海外に、そして未来に持っていきたいなあと願うものです。

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