本作に限らず、川口さんはご自身の問題をパフォーマンスとして表出することが多いように感じます。
川口>みんな多かれ少なかれそうではないでしょうか。自分に全然関係ないことをオーダーに従ってつくっている訳でもないだろうし、そうでなければ何をやるんですか、と逆に僕は思ってしまう。以前『DDD』という作品を山川冬樹くんと一緒に上演したとき、彼が自分の心臓や喉の音、呼吸をそのままアートにしていたことがありました。自分自身の肉体、生命がアートとなって提示される、そのストレートさが自分にとっては重要なんだと言っていて、それはまた僕にとっても同じこと。自分が抱えている問題をぽんと提示したとき、それはプライベートな事柄であると同時にいろいろなひとが抱えている問題であったり、今世の中で起こっている事柄が反映されているような気がします。世界中でいろいろな問題が起こっていて、それが確実に自分に陰を落としている。その陰の部分を取り上げることこそ、自分がやらなければいけないことだと思っています。
飯名>これまでの川口さんとの仕事で、アイデンティティについて話し合うことはほとんどありませんでした。ところがこの作品では、自分のアイデンティティについて考えてみないといけない。みんなで集まって、自分のことを考えてみる、という場です。プロジェクトのはじめのころ、ジョナサンと川口さんが「ゲイの保守化」という話をした。僕はその意味が全くわからなかったんです。彼らには常識的なことも、僕にとってはピンと来ない内容であったりする。クリエイションを進めていくうちに、いろいろな実態や情報を見聞きすることで、ようやく接点が見えてきた。LGBTというテーマからスタートしているけれど、抱えている問題意識の一部は性的マイノリティ特有のものではなく、マジョリティも潜在的に持っている。欲望やセックスについて、そういう問題は何かしらみんな持っていることですから。特に世の中の構造や制度に対する違和感は一緒だな、というのは強く感じました。こういう話を知ってから、この作品を観ると絶対楽しいですよ。だんだんハマってくる テーマだと思います。