海外で過ごした子供時代

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     佐東利穂子さん

勅使川原三郎氏率いるKARASの主力ダンサーであり、氏の右腕としてカ ンパニーを共に支える佐東利穂子さん。海外での活動も多く、日本にいるのは一年の約半分ほど。
「父の仕事の関係で引っ越しが多く、海外で育ったんです。だからかな、こんな人生になっちゃって……(笑)」
ダンスを始めたのは意外にも遅く、大学に入ってから。しかし自身が言うとおり、なるべくしてなった道だった。

6歳のとき、父親の転勤に伴いイギリスへ。10歳までの4年間を現地の小学校で過ごす。その後いったん日本へ戻り、中学の3年間はアメリカ・ ニュージャージーで暮らしている。
「イギリスで現地の学校に通ってたら、日本語がちょっとヘンになっ ちゃって(笑)」というように、子供ならではの柔軟性で英語は自然と身に付いた。帰国後も、せっかく覚えた英語を忘れないようにと、近所に住む帰国子女の家に通うよう親に義務づけられたという。
「週一度お姉さんの所に行ってただお話しするだけ。何でこんなことをしなきゃいけないんだろうって、小さい頃はすごくイヤでした。大人になってから、初めてそのありがたみを知るんですけど」

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イギリス時代。馬が好きだったという


外交的でオープンマインド、自分のテリトリーはしっかり守り、どんなときも自己主張はハッキリするーーというのが、帰国子女に抱く一般的なイメージだろう。しかし、佐東さんの印象は正反対。その子供時代を、「私は逆に内向きでした」と振り返る。
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隣に住んでいたコレット夫妻

「ひとりで遊ぶのが好きでしたね。イギリスにいた頃は、近くの森に行っ てひとりでじっと座ってたり(笑)。あと隣に住んでいた老夫婦の家に行って、おじいさんが大工仕事をしている横で真似して何か叩いてみたり、絵を描いてみたり」
ひとりっ子ということもあり、大人しくマイペース。外で活発に駆け回るというよりは、自分の時間を大切にする子供だった。


一方、イギリス時代に器械体操を習い始め、各地を転々としながらも中学に入るまで続けている。
「あちらの学校って子供を褒めるのが上手で、何かちょっとでもいいところがあると“ぜひ続けなさい”って言われるんです。私の場合は体育の授業でやった平均台や、イベントでやったフォークダンスを褒められて、じゃあということで通い出した感じでした」

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イギリスの小学校時代。フォークダンスのイベントで。中央が佐東さん


薦められるまま、気軽なお稽古事のひとつとして通っていた器械体操。もともと筋肉がある方ではなく、ズバ抜けて運動神経に秀でていた訳でもない。マット運動に、跳馬を少々、バク転くらいはなんとかできる程度。し
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家族旅行で訪れたイタリアで。母と。

かし、柔軟性は身についた。
「私もそのときは全く経緯がないと思ってたんですが(笑)」と、本人も気付かぬ内に、ダンスの下地を着々と築いていたようだ。

当時子供心に描いていた“将来の夢”は漠然としたもの。だがどこか、現在の姿に通ずるものがある。
「あの頃いつも言ってたのは、“毎日全然違うことがしたい”ってこと。飽きっぽいというのと、あちこち転々としてたというのもあると思う。毎日違って、刺激があってーーっていう仕事がしたい。ただそれがどういう職業なのかは、さっぱりわからなかったんですけど……」