人生を変えたKARASとの出逢い

ワークショップが行われていたのは、都営新宿線森下駅にある森下スタジオ。まずは身体をほぐすためのジャンプから始め、これをひたすら繰り返す。初日のショックは相当なものだったという。
「最初は本当にびっくりしました。自分の身体をそんなに疲れさせたり、動かし続けることってそれまでなくて。何かをやり続けることで身体が変化するということがなかったので、体力的にも精神的にもすごくショックで、終わった後はしばし呆然という状態でした(笑)」

これまでに体験したワークショップとは全く違っていた。見よう見マネでやろうにも、振りのようになぞる明確なラインがない。自らの身体を使って体感するしかない。だが逆に、それが佐東さんにはフィットした。
「自分の身体でそこまでドーッとある感覚を実感することってなかったし、自分の身体を観察するというのがすごく面白くて。すっかりハマっちゃいました(笑)」

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『真空』 (C)Toshiaki Yamaguchi


ワークショップに通い出し、間もなく発表会に参加する。さらにその数ヶ月後には、KARASの舞台『真空』へ出演。以降、KARASの全作品にキャストとして名を連ねることになる。
『真空』の終了後、当時海外ツアーをしていた『I was Real-Documents』のダンサーがひとり欠け、代役として佐東さんの出演が決定。さらに、イギリスで進行していた教育プロジェクト『S.T.E.P.』に勅使川原氏のアシスタントとして同行することにーー。ふと気づいたら、大学とKARASの二重生活を送っていた。
「大学はかろうじて卒業した感じ(笑)。就職を考えるまでもなく、そのまま自然とKARASに入ってました」

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         『真空』


子供時代の経験もここにきて役立った。振付けやワークショップなど、海外での仕事も多い勅使川原氏。そのアシスタントとして指名されたのも、英語が堪能という理由が大きい。
「ワークショップで教えたこともないし、ダンスの実力も全然なかった。けれど勅使川原さんの考えとして、自分がダンスを学ぶのであれば、それと同じだけ人にも言葉で伝えられなきゃいけないし、身体を見る目はちゃんと持っていなきゃいけないというのがあって」
すべては、ダンサーとしてできてしかるべきもの。ひとつひとつ学びつつ、実践の中で育てられてゆく。

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『I was Real-Documents』
(C)Sakae Oguma


全くの素人から、いきなり日本屈指のダンサーである勅使川原氏に弟子入りし、さらにカンパニー入りを果たした。佐東さんにとっては、時期も良かったようだ。
「ちょうどKARASの中で若いひと、新しいひとたちをどんどん取り入れようとしていた時でした。だけどやっぱりダンスを始めて間もないし、いろいろ足りないものは多い。先輩方に教えてもらいながら、何とかついていった感じです」

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『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』(C)Akihito Abe


しかし、全くの門外漢だったダンスの世界。いざ飛び込んでみたものの、この道ではなかったかもーー、などという疑問や迷いを覚えことはなかったのだろうか。
「落ち込んだり、ダメだって思うことはあっても、“これじゃないんじゃないか”っていう感覚はなかったです。もしそうだとしても、“これがやりたい!”っていう気持ちの方が強かった。だから、“他のことの方が……”と思ったことはないですね」
運命とも思えるKARASとの出逢い。だが、プロへの道は遠く険しい。稽古と舞台の目まぐるしい日々の中で、若いメンバーは次第に淘汰され、同世代で残ったのは佐東さんただひとり。
「“続けるしかない”っていうのはずっと感じてきたことでした。あと、勅使川原さんがいつも“楽しいことはもっと先にあるんだよ”と言っていて。私も今それをすごく実感してるから、若い子たちにも伝えてるんですけど……」

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                             『消息』(C)Bengt Wanselius


若い頃はとかく必死で、目の前の課題をこなすだけで精一杯。楽しみを実感するどころか、追い詰められ、自ら逃げ場を塞いでしまいがち。そんなとき、彼女には師の言葉が支えになった。
「目一杯なとき、勅使川原さんや目上のメンバーを見て、今の自分には見えてないけど、先にはもっと楽しいことがあるんだって思えた。もっと踊れるようになったらどうなるんだろう、っていうのを目標にしてました。自分はまだ実感できてないけど、もしできるようになったらと……」