おふたりの印象とアラーキーさんのテイストは正反対のようにも思えます。作品に取り入れていく上で、戸惑う部分はなかったですか?
白井>色にしても直接的な表現感にしても、確かに僕が普段好んで扱うようなビジュアル感ではない。ただ、何となくその当時考えてたこと、僕の中のアイデアだったり、僕らが興味を抱いていたものに“色”があったんです。アラーキーさんの写真に出てくる花やセルロイドの塩ビ人形とか、人工物と自然物が混ざっているところに興味が沸いて。ストローなど人工の物を集めて自分の巣をつくる鳥がいて、木の実と人工物が混ざっている風景にすごくリアリティを感じたことがありました。そこに通じるものを見た気がしたというか……。子供に血が付いていたり、股間に血が付いているような写真は直接的すぎて最初はちょっと扱いようがないなと思ったけれど、写真をよくよく見てみるといろいろなものが蠢いている。地獄なのか天国なのかわからないそれらの景色をアラーキーさんはパラダイスと言っていて、それまでの写真と全然違うスタイルだなという印象を受けたんです。以前の作品はアラーキーという人物が一番の主人公として前面に出てくる感じだったけど、アラーキーさんがどこかへいなくなっていく感じがした。同じ展示会で空や街並みを撮った写真があったけど、それもアラーキーという人物が消えつつ何かを見ている感じがして、すごく新鮮だなと思いました。
ソンヨン>アラーキーさんの作品を見ていると、“これが私が見せられるものだ”と話しかけてくる気がします。アラーキーさんが“自分の作品の中に何が見える?”と頭の中に訴えかけてきて、同時にいろいろなものが見えてくる。その先に哲学を見るひともいれば、ちょっと面白い部分だったり、小さなパートに注目して見るひともいる。彼自身これだと決めて撮るのではなく、いろいろな素材を用意して、かき混ぜて、そこから切り取ったものに対してどう考えるか、という部分は個人に任せてる。
僕が何かつくるときは反対で、常に真っ直ぐに進みます。テーマーを決めてそこに向かっていく。一方、アラーキーさんはいろいろなものを見つけて、ワッとつくっていく。結果的に、アラーキーさんの作品は見方によってどんな風にも見える。僕がアラーキーさんの作品と関わる理由、それは自分が彼の作品をどう見せるかにあるのではないかという気がしています。