世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

グラナダのアルハンブラ宮殿/スペイン(4ページ目)

アラベスク、カリグラフィー、象嵌細工、装飾タイル、モザイク、ムカルナスといったイスラム芸術の粋を集めたイスラム建築の最高峰・アルハンブラ宮殿。世界広しといえどもこれほど精緻な装飾は類を見ない。一方、ヘネラリーフェは天国を表現した美しい庭園で、アルバイシン地区は町歩きが楽しい迷宮都市。今回は見所豊富な世界遺産「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

グラナダの歴史1. ウマイヤ朝とイベリア半島

ナスル朝宮殿のライオン宮、アベンセラヘの間

ナスル朝宮殿のライオン宮、アベンセラヘの間。天井の見事なムカルナスは8,000のパーツを組み合わせて作られたという

アルハンブラ宮殿の夜景

アルバイシン地区のサン・ニコラス展望所から眺めたアルハンブラ宮殿の夜景

どうしてここまでイスラム教の美がグラナダに集中したのだろう?

そもそも、イスラム教が北アフリカやイベリア半島に伝わったのは、7世紀のウマイヤ朝(アラブ帝国)による征服以降のこと。ウマイヤ朝は南アジアから中央アジア、西アジア、北アフリカ、イベリア半島に至る大帝国を築き上げた。

メソポタミアの時代からこの頃まで、あらゆる世界最先端はアジアにあった。ウマイヤ朝の庇護の下で科学は発展し、芸術は成熟した。

 

パルタル庭園、貴婦人の塔

パルタル庭園。奥に見えるのが貴婦人の塔

750年にウマイヤ家が追放されてアッバース朝(イスラム帝国)が成立。ウマイヤ家の生き残りであるアブド・アッラフマーン1世は北アフリカの遊牧民族ベルベル人の血を引いていたことから、北アフリカに逃げて支援を受けるとイベリア半島に進出し、コルドバ(世界遺産「コルドバ歴史地区」)を首都に後ウマイヤ朝を建てる。

後ウマイヤ朝は芸術を奨励し、ウマイヤ朝のイスラム芸術を引き継いだだけでなく、北アフリカや西ヨーロッパの芸術を吸収し、さらに飛躍させた。

 

グラナダの歴史2. ナスル朝の繁栄

ナスル朝宮殿のコマレス宮、アラヤネスの中庭

ナスル朝宮殿のコマレス宮、アラヤネスの中庭。アラヤネスとは天人花のことで、池の周囲の生垣に由来する。奥に見える建物はカール5世宮殿

ライオンの中庭

ライオンの中庭、12頭のライオン像。かつては水を吐き出すライオンが変わることで時を知らせていた

8世紀からイベリア半島北部を中心にキリスト教徒によってレコンキスタが開始され、一方南部ではムラービト朝やムワヒッド朝、マリーン朝など北アフリカのベルベル人によるイスラム王朝がたびたび進出した。

1232年、ムハンマド1世がグラナダを首都にナスル朝を打ち立てる。同じ13世紀、キリスト教国であるアラゴン王国やカスティリャ王国が勢力を伸ばし、イベリア半島の多くを占領。結局ナスル朝はイスラム勢力最後の牙城として残された。政治的には非常に難しい状況にあったが、芸術家たちはグラナダに集結し、文化的には14世紀に最盛期を迎えた。

 

カール5世宮殿

円形闘技場を思わせるカール5世宮殿

北アフリカのイスラム勢力の支援を受けていたナスル朝だったが、15世紀に入るとセウタやジブラルタルといった北アフリカ勢力の拠点を落とされて孤立。1469年にはアラゴン国王フェルナンド2世とカスティリャ女王イザベル1世が結婚してスペイン王国が成立し、ナスル朝を追い込んだ。

そして1492年にグラナダは包囲され、カトリック両王がアルハンブラ宮殿に入城してナスル朝は滅亡した。しかし、両王や両王の孫であるスペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)はアルハンブラ宮殿の美しさを目にして破壊することはせず、むしろそのデザインを活かして官公庁や教会・修道院に改築した。

 

こうして800年の歴史を誇るイベリア半島のイスラム支配はアルハンブラ宮殿にすべての美をつぎこんだのちに、終焉を迎えた。
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