ジョブズの娘の名前がつけられたパソコンがあった
スティーブ・ジョブズとガールフレンドとの間に生まれた子供がリサ
アップルの業績がよかったため母子が住んでいたサンマテオ郡が娘の認知と生活保護費の返還を訴え裁判となります。ところがジョブズは自分と娘との血縁関係を否定。裁判途中でようやく和解し、認知だけはしましたが、あとはほったらかしです。
ジョブズ自身も未婚の母から生まれ、すぐに貧しい義父母に養子に出され育てられた経緯があり、家庭的には恵まれない人でした。やがてジョブズ自身が伴侶をえて、新しい家族を築き上げたことで考え方が変わり、リサを自宅に迎え入れ数年間一緒に暮らしています。
パロアルト研究所で衝撃をうける
リサはマルチウィンドウ対応になっていた
アルトにはビットマップディスプレイ、マウスが標準で装備され、ウインドウシステム、メニュー操作など、現在のパソコンの元となる技術が実現されていました。アルトを見たジョブズはビックリ。さっそく先進的な仕組みをマネしたパソコンを開発し、1983年にできあがったのがLisa(リサ)。もちろんジョブズの娘の名前から名づけられました。本体・ディスプレイ一体型で、リサには箱状のワンボタンマウスがつきます。
リサの画面にはコマンド入力するところがなく、画面の下にゴミ箱、時計、計算機などのアイコンが並んでいました。マウス操作ができる世界で初めてのパソコンでした。ソフトが最初から入っていてLisa Write(ワープロ)、LisaDraw(図表作成)、LisaCalc(表計算)、LisaProject(プロジェクト管理)、LisaList(データベース)がついていました。
LisaDrawでは、マウスを使って円や線を描くことができ、コマンド入力しかできなかったパソコンを使っていたユーザーに、コンピュータでこんなことができるんだと衝撃を与えます。またマルチウィンドウ対応になっていて表計算で計算した結果をウィンドウで表示しながら別のウィンドウにワープロで文章を打つことができました。リサはコンピュータは1画面という常識をぶっつぶしてしまいます。
リサの失敗がマッキントッシュに
日本に販売チャネルがなかったアップルはキャノン販売と提携。キャノン販売が全国の主要都市に展開していたゼロワンショップでリサは発売されます。リサは先進的なパソコンでしたが1万ドル(当時の日本円で約233万円ほど)ちかい価格はあまりにも高すぎ、商業的には失敗でした。そこでリサの機能の70%しかなくても、価格がリサの20%のパソコンを作ろうと考え、1984年に初代Macintoshが発売。当時の価格は2495ドルでした。これが今に続くマッキントッシュになります。
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