事業部制のパイオニアであった松下幸之助
事業部制のパイオニアは松下幸之助氏です
松下幸之助氏は、独自の思想をもって経営に携わる名手として知られています。
それぞれの部門が事業に責任を持って推進できるよう事業部制を採用し、従業員との対話や企業の一体感の維持に並ならぬ努力を注ぐなど、今までにない経営方法を取り入れ、松下電器を大企業に育てあげました。
そんな彼のリーダーシップ力の真髄は優れた先見性を持っていたことです。その具体例として、彼が独立後最初に成功を掴んだ商品である二股ソケットの話と、松下電器が大企業に成長してからのテレビのコストダウンの話をご紹介します。
松下幸之助の先見性-二股ソケット
ソケットという部品をみなさんご存じでしょうか?今や、家のどこにいてもボタン1つで電気がつくことが当たり前ですが、当時の一般家庭では電気を1・2ヶ所しか引いていなかったので、コードを延長して離れた場所に電灯をつける工夫をしていました。その時に必要になるのがソケットです。当時、大阪電灯で工事担当者として働いていた松下氏はソケットの需要を感じており、もっと使いやすいものを作ろうと自身でオリジナルソケットを開発しました。しかし、試作品を上司に見せ、製品化を訴えたところ「こんなものダメだ」の一言で片づけられてしまいました。
絶対に世の中の役に立つ製品となる自信があっただけに、非常に悔しい思いをした彼は、大阪電灯で出世していたにも関わらず、会社を退職してしまいます。そして、自分で会社を設立し、ソケットの開発の打ち込むことにします。
創業時の社員は主に家族関係者5人しかおらず、なかなか商品も売れなかったため、妻が質屋に通う程、貧しい生活に転落。しかし、売れない時でも諦めずソケットの改良に取り組んだ結果、1つのソケットで2つの電気を灯すことを可能にした二股ソケットの開発に成功します。この商品は配線の少ない当時の家庭で大評判を呼び、閑古鳥が鳴いていた松下電器は一気に注文に追われる毎日となりました。
この5年後には従業員50名を抱える程、会社は成長。ソケットの需要を見抜いたからこそ掴んだ、松下幸之助の最初の成功エピソードです。