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麿赤兒 天賦典式公演『ムシノホシ』インタビュー!(3ページ目)

麿赤兒率いる大駱駝艦が、二年ぶりとなる天賦典式公演『ムシノホシ』を敢行! 麿赤兒を筆頭に、総勢21名の舞踏家を引き連れ新たな荒海を目指します。ここでは、開幕に先駆け創作にあたる麿赤兒さんにインタビュー! 作品に寄せる想いをお聞きしました。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

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動きをつくる上で、舞踏家に自由を与えることはありますか?

麿>あるときは自由ですよ。ある程度わかってるひとには、“ここで思うようにやってみて”ということもあります。またそこに、ちょっとさじ加減を加えることはあるけれど……。僕は振付とは言わず、振鋳(しんちゅう)、ものをふるわせると言っています。身体をふるわせるということだけではなく、何か内的な揺らぎをふるわせることで、ひらめきが出てくる。だから、どちらかというと演出的な面がありますね。

肉体的な部分はひとつの側面であって、もうひとつ内的な部分もある。例えば、恐怖にしても、ワーッて言うとか、キャッと驚くとか、いろいろ段階がありますよね。幽霊みたいな怖さだったり、天変地異の怖さみたいなものとか、恐怖の質もある。

もちろん喜怒哀楽もあります。喜怒哀楽から出てくる質にもいろいろベクトルがあるし、アプローチの仕方というのはひとそれぞれ違う。当然ただふるえてろって言うだけではダメで、こういうことをやりたいんだってことを伝えないといけない。少しは対話ができないといけません。

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2012年『ウイルス』 撮影:松田純一


若い世代は喜怒哀楽、感情の起伏が少ないと言われています。
若い舞踏家にそうした部分を感じることはありますか?

麿>感情の起伏にしても、表に出てこないだけであって、それぞれ別のベクトルに出ているような気がします。病気になったり、引きこもったり、ある種外側に出るというか。それはやっぱり、どこかで感じてるってことだと思うんですよね。“エーイ、クソー!”と開き直った出方にならないから、逆に不自由な面があるかもしれない。サイエンスでいうと、ホルモンがどうのというのも相互作用。バランスがおかしいのも、ある種のプレッシャーが原因だと思うんです。

籠もるにしても、籠もるときのエネルギーはあるはず。それこそ出方によっては病院に行ってくださいとなっちゃうけど、ここなら出てもいいよというころがあって、舞台というのはそういう場でもあると思うんです。ガス抜きじゃないけれど、叫びひとつとってもすっきりする部分もあるだろうし、もっと叫べばいいよってこともあるでしょう。ただウチの場合はリハビリ施設ではないから、スッキリしろという訳ではなく、あくまでも表現としての在り方だというのは非常に大切にしているところです。まぁ結果として、ついでにリハビリになることはあるかもしれませんけど(笑)。

神様が籠もる、神籠るという言い方が古来的にありますが、舞踏全体のセオリーとして、くぐもるとか小さくなるというエネルギーは古くから非常に大切にしているものでもあってーー。僕としては、ワーッと表に出るひともどうなんだろうと思う部分がある。籠もるひとは表情が見えにくいかもしれないけれど、もうひとつの見えない秘してる花があるのかもしれない。何かしら秘めていることは確かだと思う。

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2011年『灰の人』 撮影:松田純一



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