優等生から漏れる「私なんて」というつぶやき
「上には上がいる」という現実は厳しいけれど・・・・・・
理由の一つには、レベルを上げるごとに「上には上がいる」状況に直面してしまう現実の厳しさがあるでしょう。たとえ地元で一番だった優等生でも、ハイレベルな学校に進めば、周りは各地からやってきた「神童」だらけ。そうした人たちと肩を並べれば、途端に「普通の人」になり、自信の鼻が折れてしまうのも、無理はありません。
とはいえ、そうした厳しい環境だからこそ闘志が芽生えて、実力を伸ばしていく人も多いもの。実際、進学校に進んだ途端に下位グループに転落した生徒が、その転落をバネに、難関大学、一流企業へと逆転勝利していく例もたくさんあります。
「勤勉性」に失敗して「劣等感」が生じやすい児童期
点数が下がっても、「私はできる」という自信を育てることが大切
では、ハイレベルな環境に進んだ途端に、「自分はダメだ」と劣等感を強くしてしまうのはなぜか? その原因の一つに、その人自身の持つ「自己肯定感」「自己効力感」の低さがあると思います。自己肯定感とは、「どんな状況にあっても私はOK」という自信。そして自己効力感とは、「私にはできる」という自信です。
多くの優等生たちは、小学生の頃からトップを維持するための相当な努力を重ねてきているものですが、この小学校時代は、心理学的には「勤勉性」という発達課題に目覚める時期。つまり、自分のやるべきことに真摯に取り組みたいという意欲が芽生える時期なのです。運動が得意な子ならスポーツに、リーダーシップのある子なら児童会活動に熱意を燃やす子も多いでしょう。そして、優等生なら、その特技を生かして勉強に熱心に取り組み、「勤勉性」への意欲を満たそうとするものです。
この勤勉性の実現に失敗すると、「自分はダメだ」という「劣等感」が生じてしまいます。もちろん多少の劣等感も必要で、それを感じるからこそ「努力しなければ!」という意欲が芽生えるのですが、強く感じる機会が増えると自己肯定感、自己効力感を失い、「頑張っても仕方がない」というあきらめが生じて、やる気が湧かなくなってしまうのです。