曽祖父は清元の伝説的存在・清元志寿大夫

――柿澤さんのひいおじいさまは故・清元志寿大夫さんなのですね。晩年の十年間ほど、歌舞伎座でよく拝見しましたが、当時すでに90歳を超えていらしたのに艶やかで声量たっぷりの高音は今も忘れられません。そういうお家柄に生まれたのに、清元に進まなかったのは?

「やるか?と聞かれはしましたが、何の迷いもなく“やらない”と答えていました。兄の影響で3歳ごろからサッカーに夢中だったし、清元のイメージが子供心に、怖かったんです。僕の父は(志寿大夫の)次男筋で、長男の家系のいとこが現在、跡を継いでいます。その彼らが、家族なのに(志寿大夫に対して)敬語を使うんですよ。そういう姿を見て、怖いし、怒られる世界なんだな、と思ってしまったんです。家元ではないので、強制はされず、サッカーばかりやり通けることができました」

――高校入学まではプロサッカー選手を目指されていたのに、突然ミュージカルに転向されたのは?

「高校では体育科サッカー専攻だったのですが、そこには200人もいて、試合に出られるのは11人。僕は4軍スタートで、自分はうまいと思って入ったのに、自分よりうまいやつが100何人もいる。現実を思い知って将来どうしようかと考えていたころ、芸術鑑賞の授業で『ライオンキング』を観て、何かがひらめきました。同級生たちもみんないいやつで『お前できるんじゃない?あそこにいそうだよね』と言ってくれて、それを真に受けてしまったんです(笑)。ダンスは未経験だったけど、歌はもともと好きで、小学校の頃は合唱部でボーイソプラノを歌い、バズーカのように声が出る面白さも味わっていました。でも高校を卒業してオーディションに合格し、劇団四季の研究所に入ってみたら、周りはバレエコンクールで賞をとっていたり、音大を出ていたりで、素人同然なのは僕だけでした。

必死にくらいついた劇団時代

研究所での1年は必死でした。毎日、朝からバレエや歌のレッスンを受けて、夕方いったん帰宅してご飯を食べて仮眠して、また夜遅くに稽古場にいって、その日に出来なかった部分を自習する。やっぱり“下手くそ”と言われっぱなしは悔しいし、時々技能試験が抜き打ち的にあって、そこで落ちたら本当に終わりなので……。でも、出来なかったことが出来てくると嬉しいですし、だんだんのめりこんでいきました」

――入団した年に『ジーザス・クライスト=スーパースター』のアンサンブルでデビュー。翌年いきなり『人間になりたがった猫』に主演されましたね。

「猫のライオネルという役なんですが、今までやってきた作品で最もダンスの多い役でした。劇団のなかでも、ダンサーの人がやる役なんですよ。死にもの狂いで稽古しました。あんなにダンスを頑張ることって、もうこの先もないかもしれない(笑)。そしてまだこの役を演じていた時にいただいた次のチャンスが、『ライオンキング』のシンバでした。でも突然“明日、出演しなさい”と言われ、準備不足で何もできませんでした。緊張して声も震えてしまい、当然すぐ降ろされて……。すさまじい日々でしたが、そこで一歩でも引いたら終わりなんです。かじりついて行くしかない。俳優として、ものすごく根性が鍛えられました」

――その翌年には、柿澤さんという存在を世に強烈に印象づけた『春のめざめ』初演がありました。

「あれはいい経験でした。ブロードウェイのスタッフによる演出がカルチャーショックというか、彼らはとにかく(内面を)出せ、と言う。“君が今感じているのは、そんなものじゃないだろう?”と、とにかくエネルギッシュに迫ってくるんです。言われた人は悔しいから翌日芝居を変えてくるし、周りも“俺も負けちゃいられない”と身が引き締まる。そういう経験ができた作品でした」

――その年末、劇団四季を退団されたのですね。

「タイミング的に、大学に戻りたかったんです。僕は高校を卒業後、大学に半年間行ってその秋に劇団四季のオーディションを受け、翌年から休学している状態だったのですが、籍を置いておけるリミットがあり、もう少し勉強するなら今だ、と思ったんですね。また『春のめざめ』を体験したことで、新しい世界をもっと見てみたいという気持ちも芽生えていました。大学では表象言語を専攻していて、お陰様で今年の3月、卒業できました」

“丸裸”にされた経験が今に生きている

『アリス・イン・ワンダーランド』左からJOY、田代万里生、安蘭けい、松原剛志、柿澤勇人undefined写真提供:ホリプロ

『アリス・イン・ワンダーランド』左からJOY、田代万里生、安蘭けい、松原剛志、柿澤勇人 写真提供:ホリプロ

――退団後、様々な作品に出演されていますが、ご自身の中で転機になったのは?

「全部そうですが、『スリル・ミー』は四季を辞めて初めての作品で、栗山民也さん演出の二人芝居。今はなき、六本木のアトリエフォンテーヌという100席くらいしかないキャパの劇場でやったんですけど、それが作品に合って、とてもクールでかっこいい舞台になったんです。それまで劇団四季の大きな劇場での公演に慣れていたので、異空間に感じられて、楽しかったしいい意味で衝撃的でした。

『海辺のカフカ』2012年初演舞台写真undefined撮影:渡部孝弘

『海辺のカフカ』2012年初演舞台写真 撮影:渡部孝弘

もう一本は『海辺のカフカ』。念願のストレートプレイ出演が蜷川幸雄さんの演出で叶い、ターニングポイントになりました。人生観や役者観がかなり変わりましたね。屈折しました。蜷川さんからは“そんな通る声で台詞喋って。俺たちは人生を反映して見せるんだ。きれいごとじゃすまないんだ”って毎日ぼこぼこに言われて、ストレスで40度の熱が出て。台詞だけじゃなく、例えば立つときも“屈折した奴ならどっちかに重心をかけるだろう”とか、細かいところまで見てくれました。丸裸にされて“おまえのすべてが悪い”と毎日言われてきつかったけど、あれがあったから今の自分があると思うし、より芝居にのめりこむことが出来たと思います。
『ロミオ&ジュリエット』撮影:渡部孝弘

『ロミオ&ジュリエット』撮影:渡部孝弘

『ロミオ&ジュリエット』は、楽しい思い出ですね。大学でもシェイクスピアを勉強していたので、ロミオを演じられたのは大きかったです。劇場も巨大で、プレッシャーはありましたが、本番に入ったら毎日が楽しかったなあ。東京公演のみでしたが、宝物みたいな体験でした」

――今後はどんな役者をめざしていらっしゃいますか?

「ジャンルを問わず、芝居とひたむきに向き合っていきたいです。そして何かが残せる芝居ができたら。どういう役、という希望は特にないです。今までも殺人者にゲイ、ロボットといろんな役を演じてきました。なんでもやってみたいです!」


サッカーから演劇へと転向し、劇団四季も2年で退団。これまで潔い決断を重ねてきた柿澤さんに念のため(笑)、「今後、潔く清元の世界に入門…ということは無いでしょうか?」と尋ねてみると、即座に「いやいやいや、そんな甘い世界じゃないですよ!」と返ってきました。でも、「僕三味線を持ったこともないので、機会があったら稽古はつけてもらいたいです。絶対(役者として)プラスになるような気がするんですよ」と、ちょっと興味はあるご様子。この貪欲さが、名だたる演出家たちの心に響き、柿澤さんにより高いハードルを跳躍させてきたのでしょう。その姿は今後、観客の心に何を残すのか……。期待はいや増すばかりです。

*公演情報*『メリリー・ウィー・ロール・アロング―それでも僕らは前へ進む―』上演中~13年11月17日=天王洲銀河劇場 13年12月6~8日=梅田芸術劇場

*次頁に2017年7月のコメントを追加掲載しました!