2016年に東京で開幕、その後京都、横浜公演を経て現在、名古屋で上演中のミュージカル『ノートルダムの鐘』。人間の愛と“業”を描いたヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』に想を得て、アラン・メンケンの荘厳な音楽が彩る重厚な人間ドラマに昇華させた舞台は、開幕以来大きな反響を得ています。
『ノートルダムの鐘』(C)Disney 撮影:上原タカシ

『ノートルダムの鐘』(C)Disney 撮影:上原タカシ

15世紀のパリが舞台の本作では、ノートルダム大聖堂で鐘をつく若者カジモドとジプシー娘のエスメラルダ、大聖堂の大助祭フロロー、同警備隊長のフィーバスの愛憎が色濃く描かれますが、その中で警備隊長のフィーバスを演じているのが佐久間 仁さん、清水大星さん、光田健一さん(交互出演)。

戦場での功績が認められ、大聖堂警備隊長に任命されたフィーバスは見目麗しく、女性とみれば誰でも口説くいっぽうで、実は戦争中に心に傷を負い、今で言うPTSDに悩む一面も持つ人物。エスメラルダと出会い、生き方を大きく変えてゆくこのキャラクターを、3人はどのようにとらえ、演じているでしょうか。ご自身のプロフィールも交え、たっぷりとうかがいました。

《目次》
  • 佐久間 仁さんインタビュー
  • 清水大星さんインタビュー(2頁)
  • 光田健一さんインタビュー(3頁)
 

佐久間 仁さん・インタビュー

人類が希望を持ち続けられるよう、この物語を伝えていきたい
佐久間仁 09年オーディション合格の翌年『エクウス』で四季での初舞台を踏む。『思い出を売る男』G.I.の青年、『アスペクツ オブ ラブ』ヒューゴ、『ハムレット』フランシスコ―、船乗り、『ジーザス・クライスト=スーパースター』ユダ、シモン『クレイジー・フォー・ユー』ムース、『ノートルダムの鐘』フィーバス等を演じている。(C)Marino Matsushima

佐久間仁 韓国出身。09年オーディション合格の翌年『エクウス』で四季での初舞台を踏む。『思い出を売る男』G.I.の青年、『アスペクツ オブ ラブ』ヒューゴ、『ハムレット』フランシスコ―、船乗り、『ジーザス・クライスト=スーパースター』ユダ、シモン、『クレイジー・フォー・ユー』ムース、『ノートルダムの鐘』フィーバス等を演じている。(C)Marino Matsushima

――佐久間さんはディズニー長編アニメーション版の『ノートルダムの鐘』は以前からご存知でしたか?
 
「もちろんです。高校生ぐらいの時に観ましたが、当時の僕の年齢では深いところまでは理解できず、実はそれほど強い印象は残らなかったんです」
 
――それが今は……?
 
「完全に、惚れています(笑)。舞台版はハッピーエンドではなく、観客が考えたり、想像したりできる余地がある作りですよね。アニメーション版も素敵だったけれど、僕は個人的にシリアスな作品が好きなので、舞台版を知っていっそう『ノートルダムの鐘』という作品が好きになりました」
 
アーサー・ミラー戯曲好きの自分にとってまさに理想的な作品

――シリアスなものがお好きとのことですが、例えばどういった作品がお好きなのですか?
 
「僕は大学ではストレートプレイを専攻していて、アーサー・ミラーの『るつぼ』のような、ダークな作品が好きです。劇団四季に入ってからは『ジーザス・クライスト=スーパースター』(JCS)や『エビータ』に出会って、すごく好きになりました」
 
――『るつぼ』は17世紀アメリカの魔女裁判を通して集団心理の危うさを描いた作品ですが、『JCS』や『ノートルダムの鐘』にも同様の描写があります。佐久間さんにとって『ノートルダムの鐘』はまさにぴったりの作品だったのですね。
 
「オーディションを受ける段階では全く気づきませんでした。(合格して稽古に参加して)台本を読んでから、“やった!”と思いましたね」
 
――オーディションにはどんな気構えで臨んだのですか?
 
「はじめはカジモド役を受けようかと思っていたのですが、背も高すぎるし、フィーバス役の方が向いているんじゃないかという声もありまして、フィーバス役を受けました。
 
事前にいただいていたのは台本まるごとではなく、台詞の一部。エスメラルダとのやりとりだけで、全体像が分からなかったので、あれこれ考えながら臨みました。当日は演出家のスコット(・シュワルツ)さんから役柄について説明していただいたり、“今度はこういうふうにやってみて”というアドバイスをいただき、自分なりに一生懸命想像しながら取り組みました」

イマジネーションを総動員して臨んだ準備段階

――稽古がスタートしてから一番大変だったのは?
『ノートルダムの鐘』リハーサルより

『ノートルダムの鐘』リハーサルより


「クリエイティブスタッフの来日稽古までの間、台本だけを頼りにすべて想像力で作っていくのが大変でしたね。皆で“こうじゃないか、ああじゃないか”と話し合い、悩みました。スコットさんがいらっしゃってからは疑問に思う部分を全部質問して、解決していきました」
 
――実際、スコットさんと話してみて、想像と違った部分もありましたか?
 
「フィーバスがPTSDのような症状を持つという設定は、アメリカでの初演では無かったそうで、翌年の公演で追加されたのだそうです。きっとそこには相当の意味があるのだろうなと思ってはいましたが、スコットさんから“闇の部分を見せないと光も輝いて見えない”と言われ、僕が思っていたよりずっとシリアスに、ダークに見せないといけないのだと感じました」
 
――フィーバスが刹那的に見えるのは、戦争で心が傷ついたゆえでしょうか?
 
「僕はそうだと思います。彼は戦場で4年間過ごしたという設定ですが、それは相当、壮絶な経験だったと思うんですよ。“息抜き”というナンバーの中で戦場でのことがフラッシュバックするくだりがありますが、ここでフィーバスは(兵隊)仲間たちから話しかけられますよね。彼らに助けられて自分は生き延びることができた。自分は生きて、なぜ彼らは死んだのか。フィーバスにはそういう葛藤があったと思います。あるいは、仲間たちを置いて逃げたという負い目もあったかもしれません。
 
PTSDの症状はさまざまで、涙が出たり手が震えたり、爆弾の音が(幻聴で)聞こえてパニックになったりもするそうです。フィーバスもそんな症状を忘れるために、お酒や女性に逃げていた。そんな日々の中で出会ったのが、エスメラルダだったんです。
『ノートルダムの鐘』(C)Marino Matsushima

『ノートルダムの鐘』(C)Marino Matsushima

初めは彼女の見た目に惹かれたのだとは思いますが、大聖堂の中で(神に対して)自分のことではなく弱き者を助けてほしいと祈る彼女を見て、自分は戦場で逃げたが、この人は自分より他人のことを救おうとするのか、と衝撃を受けます。この時、エスメラルダは自分にとっての救いだとフィーバスは思ったのではないでしょうか。そうでないと、後にとっさの出来事の中で、仕事も地位もすべて捨てるような行動には出ないと思います」

虐げられた人が、虐げる者を許すということの意味

――そのあとの展開で、ジプシーの隠れ家がフロローたちに襲撃されそうになり逃げる時、フィーバスはエスメラルダに「僕についてきて」と言い、断られると「では僕が君についていく」と言います。男性が女性に「ついていく」という発想は、現代的というか新鮮に聞こえます。
 
「この時点の彼は、彼女のためにすべてを捨ててしまっています。もう何も持っていないので、ついていくしかないのではないでしょうか。中世の男性らしくないかもしれませんが、実際にこういう状況になったら言うかもしれません。自分にとってエスメラルダは光であり、救い。それくらいの存在だから、あなたでないと僕は意味がないという思いで言っていると思います。あなたについていく、何があっても、と。
 
エスメラルダが一度断ったのは、兵隊とジプシーというのが、当時は会うことさえあり得ない立場だったからです。エスメラルダにとって、兵隊たちは自分たちの仲間を(抑圧し)殺す存在。その大将を愛してはいけない、と自分を抑えるのですが、(最終的には)フィーバスの気持ちを受け取るのです。
 
(ジプシーのリーダーである)クロパンも、ずっとフィーバスを嫌がっていますが、エスメラルダに対する気持ちが本物だと知って、最後に手を差し伸べる。そこにどれだけ大きな意味があるか。一番虐げられた立場の人が権力を持つ人を許すということが、どれだけ難しいことか。彼の心を動かすためにも、僕はあのシーンでいかにエスメラルダを愛しているか、思いを伝える必要があると思っています」
『ノートルダムの鐘』リハーサルより

『ノートルダムの鐘』リハーサルより

――もう一つ、フィーバスで印象的なのが“たぶん、最初から(自分は)何も持っていなかったんだ”という台詞。自分を客観的に見つめた台詞はとても潔く聞こえますが、こういう発想はエスメラルダに出会ったことで生まれたのでしょうか?
 
「そうでしょうね。でなければこの台詞は言えないと思います。フィーバスとしては、彼女と出会ったことで何が一番大事か、分かったのだと思います」
 
22世紀、23世紀になっても上演し続けるべき作品

――この作品を21世紀の今、上演する意義についてどう思われますか?
 
「社会には差別など、様々な問題があるなかで、この作品のメッセージは時代を問わず、伝えるべきものだと思います。それは22世紀でも、23世紀になっても同じではないでしょうか。上演し続けるべき作品だと思います」
 
――中世のエスメラルダが“いつか人がみんな賢くなって……”と歌うけれど、今も人間の世界には厳然と問題があり続けることを思うと、私たちはいったい希望を持てるのかと思ってしまったりもしますが……。
 
「難しいところですよね。人間は変わらないのかもしれない。それでも希望を持たないと人は生きていけない。伝え続けなければいけないと思います」
 
――本作で特にお好きな箇所は?
 
「僕はカジモドの登場と最後の演出が大好きで、いつも素晴らしいと思います。一人の純粋な青年が、その演出によって一瞬で変化する。心は同じなのに、見た目が変わることで周囲が変わってしまうのはなぜか。大きな意味のある演出だと思いますし、毎回感動します」
 
――開幕から2年近く経ちましたが、より深まったと感じる部分はありますか?
『ノートルダムの鐘』(C)Disney 撮影:上原タカシ

『ノートルダムの鐘』(C)Disney 撮影:上原タカシ

「自分から変わるというより、共演者たちと一緒にやっていく中で自分も変わってきたように感じます。新しい発見もたくさんありましたね。役づくりにおいては、自分と役との共通点を探そうとする2年間でもありました。今もまだ宿題はたくさんありますし、深めている途中です」
 
自分にしかできない表現を、追求していきたい
 
――プロフィールについても少しうかがいたいと思いますが、佐久間さんがそもそも四季を目指したのは?
 
「大学ではストレートプレイを専攻していて、歌やダンスにはそれほど興味がなかったのですが、大学の恩師から“経験として四季のオーディションを受けてみたら”と勧められました。当時、映画のオーディションの最終段階で落ちたばかりで、落ち込んでいたこともあって、挑戦してみようと思いました。オーディションでは、浅利(慶太)先生が僕の何かを見つけて選んでくださったのだと思います。
 
入ってみるとレッスンシステムは充実していて、毎日のように全国で公演が行われていることを知り、こういう劇団はほかにはないし、こんなチャンスは滅多にないと思うようになりました。普通は一つの演目のオーディションに落ちたらそれで終わりですが、ここならできるまでレッスンを積むことができる。できるようになるまで時間がかかってもやろうと一生懸命、自分なりに努力してきました」
 
――これまでで、特に印象に残っている役は?
 
「入団して一年目に『JCS』にアンサンブルで出演して、後にシモン役を演じました。そして今年、目指していたユダ役を初めて演じることができました。合格した時のことは、今もはっきりと覚えています。夢がかなったこの瞬間は、決して忘れられません」
 
――『JCS』のユダとジーザスの関係は演出によっても、演じる方によってもいろいろありえますが、佐久間さんはどうとらえて演じましたか?
 
「(僕の場合は)ユダはジーザスのことを誰よりも愛している人間として演じました。弟子たちそれぞれがジーザスを愛しているけれど、その中でも最も愛している。頭がよく、状況を客観的に見ることができる彼は、このままいけば何が起こるかもわかっていて、ジーザスに対して“そんなことをしたら危ない、やめてください”と何度も止めようとするけれど、ジーザスはやめてくれません」
 
――ユダからはたくさん発しているのに、ジーザスはそれを拒む。切ないですね。
 
「切ないです。そしてユダは悩んで悩んで、わかってほしいという意味でジーザスを裏切る。ふつうの“裏切り”ではないと思います。本当に愛しているからこその行動であって、男女の愛以上の愛が、そこにはあると思います」
 
――今後まだまだ、深めていきたい役ですね。
 
「まだまだです。もっともっと深められると思っています」
 
――ミュージカルという未知の分野に挑み始めて、現在も続いているのは、まだ満足していない、ということでしょうか?
 
「全く満足してないですよ。よく、名優の方々が、“舞台ではカタルシスを感じる”とおっしゃっていますが、僕は一度もそういうことがありません。けれど、たとえそれができたとしても、“もっと感じたい”と思って続けていくのかもしれないですね(笑)。自分にしかできない表現を追求していきたいです」
 
*次頁で清水大星さんインタビューをお送りします!