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ダンサーズ ・ヒストリー 新国立劇場バレエ団 福岡雄大(3ページ目)

この秋上演を迎える新国立劇場バレエ団公演『バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング』に出演し、『結婚』と『アポロ』の二作で主演を務める福岡雄大さん。舞台に対する真摯な姿勢は、前回のインタビューでお伝えした通り。ここでは改めて彼のバレエ人生を振り返り、プリンシパルに至る道程を辿ります。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

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チューリッヒで精神修業!

2003年、19歳で文化庁在外研修員に選ばれ、海外留学を果たす。
「自分の踊りのスタイルが自分でわかってなかったというか、言われるがまま踊ってた。精神修業のためにも、外に出た方がいいんじゃないか、自分で見つけられるものがあるんじゃないかと思って……」
生まれ育った大阪から単身スイスに渡り、チューリッヒジュニアバレエ団に入団する。

ジュニアバレエ団とは、バレエ団のセカンド的存在。バレエ団と活動を共にし、実力があればバレエ団の公演に出演するチャンスも与えられる。反面、実力がなければ給与を貰うこともままならない。福岡さんにとって、初めてのプロ生活だ。

異国での“精神修業”は、予想以上に厳しかったと振り返る。
「カルチャーショックだらけでした。言葉もわからないし、何をしたらいいのかもわからない。稽古以外は家にいて、ずっと引きこもってましたね(笑)。家でポテチを食べつつ、言葉のわからないテレビを見ては、“はぁ……”って溜め息をつく毎日でした(笑)」

ドイツ語に英語、フランス語、スペイン、ロシア、アルメニア語——。多国籍なヨーロッパのカンパニーだけに、スタジオには多様な言語が飛び交っている。意思疎通もままならず、ただ萎縮するばかり。またバレエのレベルも非常に高く、入団早々役を降ろされるというシビアな現実にも直面した。
「役を降ろされたことは一度や二度じゃなかったです。“何でだろう?”って、ものすごくヘコみました。たぶん、芸術監督のハインツ・シュペルリに嫌われてたんだと思う(笑)。言葉もわからないし、あまり喋らないし、パニックになっていて、悪い印象を与えてしまったんじゃないかって」

どん底からスタートした海外生活。そんなとき助けてくれたのが、イギリスから来た同期の仲間。ふさぎ込む彼の様子を見かねて、手を差し伸べてくれたのだ。
「“どこかに行こうよ!”って連れ出してくれたり、英語が聞き取れない僕に何度も根気よく繰り返し話してくれたり。彼には本当に救われました」

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『E=mc2』(2013年) 撮影:鹿摩隆司


友人もでき、海外での生活に少しずつ慣れてきた頃、バレエにもひとつの転機が訪れる。ジュニアバレエ団の公演で、偶然にも主要な役を踊るチャンスに恵まれた福岡さん。
「もともと有望な別のダンサーが踊るはずの役でした。だけど彼は他にも沢山の役を抱えてるから、ひとつ外そうということになって、たまたま僕が余ってたからその役を踊ることになった。前日に覚えて、次の日に舞台に立ちました。けれど、それがすごく良かったみたい。僕自身もその役が決まったときに、もうヘコんでばかりいるのは辞めようと。これじゃダメだ、ガムシャラに頑張ろうと気持ちを切り替えました」

地道な努力の日々が始まった。バレエ団が終わってからさらに別の稽古場でレッスンを受けるなど、無心に踊り続け、徹底的に身体を苛め抜いた。バレエ団の契約はシビアで、一年ごとに切られる可能性がある。落ち込んでいる場合じゃない、いつクビになってもおかしくない。
「しかも、そのときすごく太ってしまったんです。もともと大食漢なんですが、向こうって塩分が高いから、日本と同じように食べてたらあっという間に体重が増えて。毎日二クラス受けて、ジムに行って身体を絞って、へとへとでした。でも、得るものは大きかったですね」
半年引きこもり、半年ガムシャラに踊った。芸術監督のハインツ・シュペルリにも、「変わったな」と声をかけられた。帰国する覚悟でいたが、契約更新の依頼をもらえた。
「二シーズン目からは、バレエ団の公演に全て出演することができました。『春の祭典』とかレパートリーをいろいろ踊らせてもらって、すごく嬉しかったです」

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                                                       『椿姫』(2010年) 撮影:瀬戸秀美


ようやく軌道に乗った三シーズン目、リハーサル中にジャンプの着地に失敗し、足の小指にひびが入るというケガに見舞われる。
「すごく踊りたい役だったんですけど……。ハインツはとにかく完璧主義で、ちょっとでも出来ないとすぐに“キミはもういい”って言われてしまう。ケガをしてはじめて、決断する勇気を知ったというか、責任感って大事だと強く思いました」
自ら役を降り、同期の仲間を「すごく頑張ってるから」と代役に推薦した。それも、役を度々降ろされた自身の苦い経験があってこそ。
「自分で立ち向かった方が壁にぶつかったときの衝撃も大きいけど、それを乗り越えたときの成長もより大きい。それは、経験したから言えること。自分で受け止めて乗り越える辛さもわかったし、そういう経験もないとダメだったんだろうなって、必然だったんだと思います」

ジュニアバレエ団には二年間在籍し、バレエ団にもそのまま昇格。2006年にはハインツ・シュペルリ振付『真夏の夜の夢』でパック役に抜擢されるなど、いつしか主要な役も与えられるようになっていた。日本への帰国を決意したのは、バレエ団に在籍して3年目。
「チューリッヒバレエ団のレパートリーはハインツ独自の振付になっていて、クラシック作品であってもネオクラシックが主体。クラシックをそろそろ踊らなければと思ったし、ちょうどパックも踊れたのでキリがいいんじゃないかと大阪の先生とも相談して決めました」
当初は、2年間だけのつもりだった海外留学。気がつくと、5年の月日が経っていた。

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