キャリアプラン/キャリアプラン事例

働きがいと働きやすさが両立した会社を創造したい

今回は、7年前にシステム開発業で起業、昨期に売上10億円を達成され、今年1月に新会社キャスレーコンサルティング社を立ち上げた砂川和雅社長にお話を伺いました。

藤田 聰

執筆者:藤田 聰

キャリアプラン・リーダーシップガイド

今回は、7年前にシステム開発業で起業、昨期に売上10億円を達成され、今年1月に新会社キャスレーコンサルティング社を立ち上げた砂川和雅社長にお話を伺いました(5月21日、東京都心、外苑前のベルコモンズ斜向かいに位置する本社内の3F会議室にてインタビューを行いました)。

色々な意味でIT業界を変えていくことが使命だと思っています

色々な意味でIT業界を変えていくことが使命だと思っています

砂川氏は1977年に大阪の起業家一家に生まれ、少年期より商売の嗅覚を身に付けられ、高校卒業後は大学進学という選択はせず、インターネット関連事業で起業された方です。その後、生死を彷徨う大事故など紆余曲折を経て、最初の就職先でトップセールスになられた後、東京に移り大学入学・転職、7年前当時の仲間と起業され、今年新会社を設立された若手ITベンチャーの旗手の一人です。

ガイド:これまでのキャリアを簡単にお話しいただけませんか。

砂川氏:大阪で祖父の代より起業していました。船舶用のガラス製品分野では大きなシェアを取っていたのですが、80年代の造船不況とともに景気が悪くなり、業態変換を余儀なくされ、ほどなくして、実家はコンビニエンスストアを営むようになりました。

今思えば、幼少期より、肌感覚で会社の栄華と衰退を経験しました。留守番や配達など、コンビニの家業と手伝うなど、比較的自由な環境の中で伸び伸びと育ちました。小学校1年生の時に父がパソコンを買い与えられたので、それ以降、学生時代は相当パソコンにのめり込みました。

高校卒業前後、丁度Windows95~ネット常時接続の時代が到来し、千載一遇のビジネスチャンスで、ビジネスマッチングやオークションサイト等の企画書を各金融機関へ持ち回りましたが、全く相手にしてもらえませんでした。

結果として、当時一番起業しやすかった携帯の代理店業を一人で始めました。資金を溜めてインターネット関連事業を始めた直後、交通事故に遭い、瀕死の重傷を負う羽目に。リハビリを含めると約1年間棒に振りました。

起こした会社も畳まざるを得ませんでした。その後、大阪のネットワークインフラ会社へ就職し、猛烈に働いた結果、数百名の営業の中でトップセールスになりました。その後、上京して大学に通い、運命の分かれ目となるITベンチャーに入社しました。

3年間在籍しましたが、学ぶものは学び尽くし、業界特有の高稼働・使い捨て体質に嫌気がさし、転職を考えていたところ、同じ想いを抱いていた同僚に誘われ、7年前にスピンアウトした5名で起業しました。起業後、リーマンショックや東日本大震災の難局を乗り越え、増収増益を続けた結果、昨期、売上10億円を越えました。

原点に立ち戻り、より社会に役立つことがしたいと想うようになり、この1月にキャスレーコンサルティングを立ち上げました。
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