フィンランド/ヘルシンキの観光・お土産

ヘルシンキの記念碑・彫刻アート探訪〈偉人編〉(2ページ目)

ヘルシンキ市街を歩いていると、至るところで気になる彫刻作品やモニュメントが設置されているのに目がいくのではと思います。屋外作品が進んで作られるようになったのは1800年代後半からで、現在では市立美術館が把握するだけでも400作品を超えていると言います。今回はその中から、かつて政治・文芸・芸術・スポーツ分野でフィンランドで活躍した偉人たちの記念碑にあたる作品を10点、各人の業績とともにご紹介します。

こばやし あやな

執筆者:こばやし あやな

フィンランドガイド


スオメンリンナの要塞を築いたスウェーデンの軍人、エーレンスヴァルドの墓標

エーレンスヴァルド

スオメンリンナ島開拓の際いかに彼が頼りにされていたかが想像される、甲冑や船先のデザインが施された立派な墓標

本土のエテラ港から市営フェリーで行き来できる、世界遺産スオメンリンナ島の中庭のような一角に、立派な甲冑のレリーフを象ったアウグスティン・エーレンスヴァルド(Augustin Ehrensvärd/1710-1772)の墓が残っています。エーレンスヴァルドはスウェーデンの軍人で、スオメンリンナ要塞の開拓者としてその名が知られる人物です。

長らくロシアとの領土争いを繰り広げていたスウェーデンは、ロシアからの攻撃に備えるため、1748年にヘルシンキ湾の海上に要塞を築くことにしました。エーレンスヴァルドはその総指揮官として人の住居部分も確保した星形要塞の建設を主導し、死去する年までその建設事業に尽力しました。その甲斐むなしく、結果的にスウェーデンはロシアの攻撃を防ぎ切ることなく1808年に降伏してしまいます。しかし、彼のもとでこの大規模な建設事業が進められたことで、それまで無名の地方都市であったヘルシンキは大いに活性化され、ゆくゆくの首都としての着実な歩みを見せ始めたのでした。

エーレンスヴァルドの勇姿を偲ばせる騎士の甲冑と船先をモチーフにした墓標は、1805年にストックホルム出身の名彫刻家ヨハン・トビアス・セーゲルによって完成されました。

■設置場所:スオメンリンナ島の城庭(Linnan piha)内
■アクセス:スオメンリンナ島市営フェリー発着場から徒歩約10分


2人のヘルシンキ街づくりへの功労者を称えるレリーフ

カールエンゲル

彼ら2人の尽力により、今日誰もが見慣れたヘルシンキ中心街の街並みが完成した

ヘルシンキ大聖堂西側に伸びるウュリオピスト通り(Yliopistonkatu)に面した大学敷地の壁にさり気なく設置してある、二人の人物の肖像が彫られたレリーフ。

向かって左は、ヘルシンキの都市計画を統括していた政治家のヨハン・アルべヒト・エーレンストローム(Johan Albrecht Ehrenström /1762–1847)、右の人物は、エーレンストロームのもとで実際に各主要建築の設計を担当していたドイツ人建築家カール・ルドヴィッヒ・エンゲル(Carl Ludvig Engel/1778-1840)。つまり二人とも、ロシア政府によってトゥルクから遷都された首都ヘルシンキの街づくりを支えた2大功労者だったのです。とりわけ、かのヘルシンキ大聖堂やヘルシンキ大学のメインビルディングなど、首都の景観のシンボルとしてたたずむ中心街の主要建築をひと通り設計したエンゲルの名と功績は、今日まで大いに語られ続けています。

このレリーフの制作に着手したのは、フェリックス・ニュルンドという芸術家でしたが、完成を前に他界してしまったため、当初デザイン考案に携わっていたアーティストたちが力を貸して、1941年に完成されました。

■設置場所:Yliopistonkatu 9(ヘルシンキ大学敷地の外壁)
■アクセス:ヘルシンキ中央駅から東に徒歩約10分


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では、国民叙事詩の編纂と国歌の作詞に携わった民族運動の中心人物2人の記念碑を紹介!

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