男らしさ、女らしさを押し付けられるストレス
幼児のうちから男女差を意識させすぎていませんか?
たとえば、「男はサッカーだ!」と無理やりチームに入れられても、心から楽しく練習できないでしょう。「女の子なんだからちゃんと家事をやって。お嫁に行けないよ」としつけられても、家事を楽しいものに感じられないはずです。
人が自分の性別を意識するのは、3歳ごろからとされていますが、この幼児の頃から、親が無理やり男らしいこと、女らしいことを強いたりすると、子どもは本来の「自分らしさ」を出せなくなってしまいます。すると、自我に目覚める思春期頃には激しく荒れて、結局は親の希望と逆行する趣味や生き方を志向していくことも、少なくありません。
「オスカル」に象徴される性別否定の影響
女性らしさを否定されて育ったオスカルの心情とは?
やはり物心のつく頃から、「男(女)だったらよかったのに」「男(女)っぽい子って何かイヤ」などと自分の性別を否定し続けられると、親の気に入る性別に合わせようと、無理に努力をしてしまうことがあります。
その象徴的な例が、漫画『ベルサイユのばら』の主人公である男装の令嬢「オスカル」でしょう。この主人公は女として生まれながら、将軍の父に男として育てられ、父が期待する「男の中の男」になろうと頑張って、エリート軍人に昇進します。しかし、同時に女性としての自己矛盾にもぶつかり、「男を装って生きる自分」のアイデンティティに深く悩み続けるのです。
『ベルサイユのばら』が発表されたのは70年代前半ですが、この頃は折しも欧米からフェミニズム論やジェンダー論が紹介され、それまでの日本的な性役割の再考が促された時代です。そんな時代に、このオスカルの生き方は、「女性の可能性」を考えさせると同時に、「性役割を強制される悲劇」をも考えさせる衝撃的なメッセージを与えました。
ジェンダーフリーな小学校文化から気づくこと
男女混合を体験すると「男女差」への価値観が変わる
たとえば、子どもを通して最近の公立小学校の文化を覗いてみると、私が小学生だった80年代に比べ、たくさんのことがジェンダーフリーに変わっているのに驚きます。
名簿は「あいうえお」順の男女混合ですし、生徒の名前を呼ぶときには「くん」や「ちゃん」ではなく、一律に「さん」をつけるのには驚きました。運動会も男女混合競技で、騎馬戦でも男女が一緒に戦います。さらには、昔のランドセルは「男は黒、女は赤」と暗黙に決まっていたものでしたが、今では自由に色を選んでいます。女の子が黒いランドセルを背負う姿を見ると、「時代は変わった」と感慨深いものがあります。
こうしたジェンダーフリーな小学校文化には、賛否両論があるでしょう。しかし私自身は、男女一緒に競技する小学生、色とりどりのランドセルを背負う小学生を見ているだけでも、自分の中に無意識に染みついていた偏見に気付かされ、結構新鮮な感慨を覚えています。