人に何かをするだけで
単純に「幸せ」と思えるか?
ニセモノの恋愛では、ニセモノの好意がよく交わされている |
「こんなに素敵なおもてなしをした私、すごいでしょ?」
「誰よりも気の利くプレゼントをした俺を、もっと尊敬してよ」
このように、愛されたい、認められたいという気持ちは、どんどんエスカレートしていきます。
そして、好意をかけた分だけ、感謝されなかったときの無念さは強くなります。渇愛の強い人は、見た目にも優しさや余裕が感じられなくなりますが、それを「知らぬは自分ばかり」なのです。
「渇愛」によってかけられた好意は、いわばニセモノの好意。受け手にとっては、これは「押し付け」に他なりません。
では、ホンモノの好意とは、どんなものでしょう?それは「慈悲」の心によるものです。慈悲とは、見返りを期待しないで与える心のこと。感謝されなくても、尊敬されなくてもいい。ただ、相手のためを思い、愛情をかけることです。
ホンモノの好意を実践しよう!
他人を招くときには、ぜひ「慈悲」のおもてなしを! |
● 好意は「美意識」としてかける
人に何かをしてあげるときは、相手の反応や感謝を期待せず、自分の心の「美意識」として行うことが大事です。
● 損得で考えない
「これだけの好意をかけたら、困ったときに助けてくれるだろう」と思うこと自体、もう渇愛です。損得を考えずに相手のことを思って何かをすれば、自然に他人は感謝します。そして、自分が苦しいときには、手を差し伸べてくれます。
● 人が喜べばそれでOK
「喜んでくれれば、それだけでうれしい」。純粋にそういう気持ちになれれば、慈悲に近づいている証拠です。
このように、自分の心の奥にある渇愛に気づき、少しでも慈悲の心で接する気持ちを持つことです。すると、以前より確実に人間関係もよくなっていくでしょう。