「~してあげたのに」と
つい思ってしまいませんか?

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見返りを期待した「好意」をかけていませんか?
人に好意をかけたのに、自分が期待したほどには感謝されない経験は、誰にでもありますよね。そんなとき、つい心に浮かんでしまうのがこんな言葉。

「せっかくやってあげたのにお礼もないなんて、礼儀知らずな人だ」

そう。好意をかける側は、無意識のうちに相手に「見返り」を求めてしまうものなのです。受ける側はその気持ちを察知すると、「別に頼んだわけじゃないのに」と、相手がしてくれたことを負担に感じてしまいます。


反応を期待すると
自分も他人も苦しくなる

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その好意、本当は「渇愛」でかけていませんか?
仏教には、人間の一生は苦しみの連続であり、心の苦しみを引き起こすものに「渇愛(かつあい)」がある、という教えがあります。

渇愛とは、あくなき欲望のこと。人間関係においては、「私をもっと好きになって!」「私をもっと認めて!」と求めてやまないのが「渇愛」です。

こうした気持ちに縛られるのは、私たちの心は生まれながらに「無明」(無知であること)だからなのだそうです。たとえば、あなたが誰かに好意をかけるとき、心の底ではこう思っていないでしょうか?

「これだけしてあげたんだから、感謝しているに違いない。すごいと思ってるに違いない」

少しでも、上のような気持ちがあれば、その心に「渇愛」がある証拠です。「渇愛」は本人には自覚しにくく、他人の方が敏感に感じとります。だから「渇愛」が潜む行為を、他人は負担に感じるのです。