■データ保存はカセットテープがあたりまえだった | Page1 |
■NECのPC8001を完成させたのはパソコンマニア | Pgae2 |
■「USO800」というパソコンが企画されたことがある | Pgae3 |
NECのPC8001を完成させたのはパソコンマニア
1979年にNEC(日本電気)からTK80と言うトレーニングキットが発売されベストセラーになっていました。TKはトレーニングキットという意味でした。NECのマイコンTK-80BS、TK-80E |
ワンボードマイコンで技術者向けのトレーニングキットでしたが、コンピュータマニアにも受け爆発的に売れました。発売当時の価格は88,500円です。
写真は上が1981年に発売されたTK-80BS(128,000円)、下が1980年に発売されたTK-80E(67,000円)です。
16進数(0~9、A~F)のキーボードが当たり前の時代にTK-80BSにはキーボードがついていました。
パソコンの登場
1979年、まだまだマイコン時代の中、PC8001は日本で初めて「パーソナルコンピュータ」と名乗って発売されました。基盤(ボード)向き出しでなく筐体に入った形で売られました。それまでマイコンといえばホビー用が中心でしたがビジネスで使えそうだと初めて感じさせたパソコンでした。
最初の形は発売されたものと全然違っていました。マイコン全盛期の時代で、当初はマイコンを発展させた形で考えていました。PC8001の試作機を作り、マニアに見てもらいました。
テンキーボード |
日本電気のお歴々の前に長髪でジーンズ姿のマニアが集まり、ここはこうした方がよい、これは止めてこうしたらと色々な意見が出ました。
例えばキーボードの現在テンキーがおかれている場所には試作機では16進数のキーボードが置かれていました。(0~9 A~Fのキーが並びます。)
当時のマイコン雑誌には16進数のプログラムリストがずらずら載っている時代で、16進数のキーボードで入力するのが当たり前の時代でした。
マイコン雑誌には16進数のプログラム |
(例)40 AF DE 45 21 4E 83 BB 23 DC B3 49
こんなのが雑誌に何ページも続いていました。
マニアからは仕事で使うなら計算はテンキーの方がよいと意見が出てテンキーボードが置かれることになります。
また試作機はかなりどぎつい配色で本体やキーボードはクリーム色、文字が赤色でした。これをオフイスになじむように渋めの茶系の配色にしました。
マニアの意見を採用して改良され発売されましたが、これが大ヒットに。価格は16万8千円で外国製パソコンに比べてかなり安く、1983年に生産終了するまで25万台を売りつくしました。
1981年のPC8801、そして1982年のPC9801いわゆる98シリーズが誕生することとなります。PC8001は日本のパソコン文化を創始した記念すべき機種となりました。
PC8001が発売されたのが1979年9月28日でした。そのため9月28日は「パソコンの日」になっています。
最後は 「USO800」というパソコンが企画されたことがある >>