心のケアと介護の知識、技術は両輪
堀田さんは訪問介護のヘルパーへの調査結果を検討し、ヘルパーは、サービス提供上、「自立支援」「利用者と家族の負担軽減」に続き、制度上は意図されていない「心のケア」を重視する傾向が強いことを指摘しています。ヘルパーが「利用者に寄り添い、利用者をめぐる関係性の潤滑油となり、よき聞き手となり、その心持ちを支えたいと考えている」とする一方で、「心のケアを重視することは知識や技術の軽視につながる場合もある」と分析しています。※※<堀田聰子『能力開発と雇用管理に関する実証研究』(2008)第2部訪問介護員の定着・能力開発と雇用管理>から引用
心のケアと、介護の知識・技術。
介護の仕事を知らないかたに、介護職に求められるものは何かと問われたとき、私はまずはその人に寄り添っていく気持ち、つまり、心のケアの部分ではないかと答えていました。介護の知識、技術は後から身につけられますが、寄り添う気持ちを持てない人には介護職は務まらないのではないかと考えていたからです。
しかし、世田谷区立きたざわ苑の「日中オムツ使用ゼロの取り組み」の話を聞き、充実した介護の知識、技術、理論が生み出す質の高いサービスを目の当たりにしたことで、介護技術や理論を身につけることの大切さを痛感しました。
その後、堀田さんのこの調査分析を読み、心のケアと介護の知識、技術の関係について、堀田さんに是非尋ねてみたいと思ったのです。
堀田さんはこのように話してくれました。
「介護の知識、技術も心のケアも両方大事。でも、介護の専門性を語るときに、心のケアだけが過度に強調されるのは危ういと思います。寄り添う心というと、その心さえあれば、誰でも介護職が務まるかのように思われかねません。また介護職自身も、心構えだけで甘んじてしまうことにもなりかねません。
でもそうではなく、確かな判断、確かな関わりができる知識や技術、関係職種との連携やチームワークに裏付けられて、はじめて信頼関係の構築ができるわけですし、信頼関係の先にこそ、心のケアがある。そうでなければ、単なる思いこみや自己満足のケアになってしまうかもしれません。そういう意味で、心のケアは、介護の知識・技術は両輪だと思うのです。
介護の仕事を知らないかたに、心のケアの大切さを伝えること自体はもちろん間違っていないと思います。ただ、心のケアだけでいい、あるいは心のケアのほうが大切だ、という考え方では介護の専門性や魅力を十分に伝えきれないのではないかということです」
なるほどとうなずかされ、言葉足らずの説明では誤解を招きかねないと、反省したのでした。
こうして充実した2時間の取材は終わりました。
介護現場の現状に詳しく、理論にも強い堀田さんのお話は、どれも非常に説得力があり、私はただうなずくばかりでした。中でも印象に残っているのは、「私は性善説なんです」という言葉。これは私が、「介護の職場は意識の高い人ばかりではなく、高いとは言えない人たちに向かって何か言っても耳を貸してもらえない、という話をよく聞くのですが」と問いかけたときの答えでした。
「私は性善説なんです。まわりから見てどうであれ、誰でもいい仕事をしたい、仕事を楽しみたい、いいケアがしたいという気持ちをどこかに持っているはず。本人も自覚していないかもしれないその気持ちを、花開かせられるかどうか。先入観を持たないで、あきらめないでほしい」と。
私自身、誰もが変わりうると思っているからこそ、変わるための小さなヒント、きっかけ作りができないかと考えて、このサイトで様々な情報や意見、提案を伝えてきたつもりでした。しかしいつの間にか、「伝えても変わらない人」がいると考えるようになっていた。堀田さんのこの言葉を聞いて、そのことに気づかされました。
「堀田聰子さんに聞く、介護の質の向上・後編」の中で、堀田さんは介護職同士が語り合うことが大切、と話していました。話すことで気づかされることはたくさんある。そのことを実感できた取材でした。