1ページ目 【派閥の役割と意義、現在の派閥の状況】
2ページ目 【自民党の派閥~町村派・津島派・古賀派】
3ページ目 【自民党の派閥~山崎派・伊吹派・麻生派・二階派・高村派】

町村派~清和政策研究会

町村派の系譜
町村派の系譜。

1970年代に首相になった福田赳夫が作った派閥です。福田は岸信介(日米安保条約を改定した首相)の系譜でもあり、基本的には右派の色合いが濃い派閥です。

福田は田中角栄最大のライバルであり、田中派、そしてその流れをつぐ竹下派支配の中で、しばらく総理総裁を出すことができませんでした。

しかし2000年、森喜朗氏が首相になると、小泉純一郎氏・安倍晋三氏、そして現在の福田康夫首相(福田赳夫の子)と、4代にもわたって総理総裁を輩出するようになり、一躍最大派閥に発展しました。

とくに小泉政権の長期化は、小泉氏の思惑とは裏腹に、彼の出身派閥である清和政策研究会を膨張させていくことになったのです。

現在、派閥勢力は最多の86人(衆院60人、参院26人)。会長は現在不在で、町村信孝・現官房長官、中川秀直・前幹事長、谷川秀善・両院議員会長の3人が代表世話人となっています。森元首相は最高顧問、安倍前首相は相談役ですが、小泉元首相は派閥復帰していません。

他の有力な所属議員としては、小池百合子前防衛大臣、細田博之元官房長官、高市早苗前内閣府特命大臣、山本一太参院議員、世耕弘成前内閣補佐官、中山恭子前内閣補佐官などの人々がいます。

ただ派閥が膨張し過ぎ、団結力にもかげりが出てきたといわれはじめました。特に町村氏と中川氏の間の確執が最近マスコミでとりざたされているところです。

津島派~平成研究会

津島派の系譜
津島派の系譜。

直接的には1987年に竹下登をリーダーとして作られた「経世会」が源流ですが、実際には田中派をルーツとするものです。田中派所属議員の多くが新たに竹下派を作り、現在に至っているものです。

1980年代末から1990年代初期にかけて、竹下と金丸信の2頭体制のもとキングメーカーとして自民党を支配しました。1992年に金丸が失脚した後、金丸の後継者的存在だった小沢一郎氏と反小沢グループが衝突、小沢グループは離脱します。

その後勢力を持ち直し、平成研究会と改称した後、1990年代後半には橋本・小渕両首相を輩出、自民党第1派閥として君臨、力を発揮しました。

しかし、小泉政権が長期化するなかで次第に派閥も勢力を落としていき、現在は第2派閥となっています。ここ数年は総理総裁候補も出せない苦しい状況が続いています。

現在、派閥勢力は69人(衆院47人、参院22人)。会長は津島雄二・党税制調査会長ですが、高齢であることもあり、額賀福志郎・財務大臣以下の集団指導体制をとっています。また、前参院会長である青木幹雄氏の力も大きなものがあると思われています。

主な所属議員としては鳩山邦夫法務大臣、船田元・元経済企画庁長官、石破茂防衛大臣、尾辻秀久・自民党参院会長という人たちがいます。当選回数の少ない議員の割合が多くなっています。この数年で有力議員(橋本元首相(故人)、野中広務・元幹事長など)の引退が多かったからですが、若返った印象があります。

政策的にはリベラル的な要素の強い派閥と考えられています。

古賀派~宏池会

古賀派・麻生派の系譜
古賀派・麻生派の系譜。

2008年の5月に谷垣派と古賀派が合同し、新・古賀派が成立しました。

1960年代前半首相を務めた池田勇人が作った古くからある派閥です。かつては「保守本流」といわれ大きな力を持ちましたが、権力闘争に弱く(そのため「お公家集団」との声も)、1990年代初頭に首相を務めた宮沢喜一首相以来、総理総裁を出していません。

さらに分裂が相次ぎましたが、今回の合同によって、かつての勢いを取り戻せるか、注目されます。さらに麻生派との合同もあるかもしれないともいわれていますが、旧谷垣派では谷垣総裁論がまだ根強く、不透明な状況です。

勢力は61人(衆院50、参院11)。古賀誠・党選挙対策委員長が会長、谷垣禎一・政調会長が代表世話人、太田誠一・元総務庁長官が会長代行となっています。

その他主な所属議員としては堀内光雄・元総務会長、丹羽雄哉・元厚生大臣、柳沢伯夫・前厚生労働大臣、塩崎恭久・前官房長官、菅義偉・前総務大臣らがいます。また派閥から離れていますが、かつての派閥会長である加藤紘一・元幹事長の影響力も見逃せません。

基本的にリベラルな政治路線で、津島派との距離は割と近い派閥です。

最後のページでは、山崎派・伊吹派・麻生派・二階派・高村派についてみていくことにします。