(記事掲載日/2008.5.21)

自民党政治を語るに欠かせない「派閥」。2008年、派閥再編の大きな動きがありました。それを踏まえて、「自民党派閥の基礎知識」の2008年版を作成しました。どうぞご覧ください。

※派閥勢力は5/14日号の読売新聞のデータを参考にしたものです。

1ページ目 【派閥の役割と意義、現在の派閥の状況】
2ページ目 【自民党の派閥~町村派・津島派・古賀派】
3ページ目 【自民党の派閥~山崎派・伊吹派・麻生派・二階派・高村派】


自民党における派閥の役割

かつての派閥
かつての派閥と議員の関係。
まずは個々の派閥についてみていく前に、自民党の派閥の役割とは何か、つまり「なぜ派閥があるのか」をおさらいしてみたいと思います。

(1)総理・総裁候補の基盤となる

派閥はもともと「この人を総理・総裁にする」ために生まれたものです。そのため、かつては有力政治家の数だけ派閥があり、有力政治家がいなくなると消えていく派閥も多かったのです。

(2)政治資金を集め、所属議員に配分する

派閥は力を大きくするため、所属議員を増やそうとしました。その手段として始まった「政治資金の配分」が、派閥の機能として定着するようになりました。

特に1970年代から80年代前半にかけて自民党で隆盛を誇った田中派は、田中角栄の持つ豊富な資金源により、多くの議員を獲得していきました。それに批判的だった派閥も、勢力を維持するため同じようなことを行うようになります。

しかしこのことは派閥が金権政治の温床であるという批判を生むことになります。

もっとも、この機能は1990年代後半から低下していきます。1994年に制定された政党助成法によって、党執行部は派閥よりも大きな資金を国から得ることになり、資金配分機能が次第に党執行部に移っていったからです。

また、同じ年に衆議院で小選挙区制が導入されました。それまでは1選挙区で2人以上が当選する「中選挙区制」だったため、自民候補どうしの闘いも多く、候補者たちは党よりも派閥に依存する傾向がありました。

しかし小選挙区制は1人しか当選しません。自民候補は当然1人であり、党執行部によるバックアップの比重が高まりました。こうしたことも、派閥の資金配分機能の低下につながっていったのです。

現在の派閥
現在、派閥の機能は徐々に縮小しつつある。
(3)ポスト(役職)の配分

1970年代に大きな抗争をした自民党の派閥は、1980年代、抗争による疲弊から次第に和解するようになり、ほぼ全ての派閥に配慮した「派閥均衡政治」が行われるようになっていきます。

そうして、大臣などのポストも、派閥の勢力に応じて数が割り振られ、派閥の推薦によって就任者が決まるようになっていきました。

しかし、こうしたことは政治家個人の能力よりも派閥の力学を重視するもので、内閣の機能を低下させるものだという批判を生むことになります。

これを打破したのが小泉政権でした。当時の小泉首相は、派閥の推薦を受け付けず、自分の考え一つで内閣人事を行っていきました。これが5年間も続いたことで、派閥均衡主義は大きく低下していったのです。

今でも派閥は自民党政治の中心です。しかし、以前ほど求心力がなくなっており、派閥を超えた活動もひんぱんに行われるようになっているのです。

主な無派閥議員

こうしたなかで、派閥に入らず、無派閥で活動する議員も増えています。

もともといわゆる「小泉チルドレン」たちの多くが無派閥だったということもありますが、有力議員のなかにも、派閥を去る人が増えています。現在51人の無派閥議員がいます。

「チルドレン」以外の有力な無派閥議員の筆頭格が与謝野馨・前官房長官。現在も政権に大きな影響力を持っているといわれています。野田聖子・元郵政大臣や渡辺喜美・金融行革担当大臣も無派閥。若手議員で目立つところでは当選3回の後藤田正純衆院議員。

かつて珍しかった無派閥議員の増大は、派閥の力が落ち込んでいることの一つの現れとみていいでしょう。

次のページでは自民党主要3派閥、町村派・津島派・古賀派についてみていくことにします。