温かく軟らかく甘い
饅頭も日本生まれではなく、14世紀に中国から渡来したものだ。羊や豚肉が入っていたが、代わりにあんを入れて日本人の好みに合うお菓子の饅頭ができた。これは日本のオリジナルだ。明治以降の日本の食物は、それ以前と比べて、一般的に暖かいものが多くなり、軟らかく甘いものが好まれるようになった。あんぱんは温かく軟らかく甘いと三拍子そろった日本の食物進化史の本流を行く商品なのだ。
日本人が初めてパンを見たのは、1543年。ポルトガル船が種子島に漂着したときといわれる。パンの名前もこのポルトガル語からきている。しかし1639年の鎖国やキリシタン弾圧によって、パンの市場は広がらず日本から姿を消すことになる。
時は経って1869年、武士であったが明治維新により職を失った木村安兵衛は、東京・芝日蔭町に文英堂という洋風金物屋兼パン屋を開いた。これは今の木村屋總本店である。
おやつとしてのパンづくり
当初、珍しがられたがあまり売れなかった。そこで安兵衛は庶民にうけるパンは作れないかと考える。米に執着している日本人がどうしたらパンを受け入れてくれるかだ。考えてみれば、中国から伝来した麺の製造技術で、そうめん、ひやむぎ、うどんなど日本独自の麺ができている。またパンと同じ小麦粉をつかった酒饅頭が大人気である。これらの点を踏まえて、安兵衛は主食としてではなく、おやつとしてのパンづくりに取り組んだのである。
そして1874年、酒種を使って発酵させ焼き上げたパン生地で、饅頭のあんを包み、試行錯誤の末あんぱんの製造に成功。これは大ヒット商品になった。
1875年のこと、お花見の席で明治天皇にあんぱんを献上する機会を得た。この時献上したのは桜あんぱんであった。桜の花をあんぱんにへそをつくるようにうめ込んで焼いたものである。天皇はこの桜あんぱんを大変気に入り、この後あんぱんは宮内省に納品されるようになった。
この成功は、主食としてのこだわりを捨て、おやつとしてのパンづくりへ切り替えた、発想の転換が大きな要因といえる。
<関連リンク集>
木村屋總本店
http://www.kimuraya-sohonten.co.jp/
アイデアの発想法
http://allabout.co.jp/gm/gl/16500/
★☆出版案内です!タイトル ”磨け!閃き力”☆★
http://allabout.co.jp/gm/gt/1908/