セクシュアルマイノリティ・同性愛/ゲイシーン

学生たちの青春パレード(4ページ目)

3月21日、セクシュアルマイノリティの学生たちが集まって新宿の街をパレードしました。決して大規模ではない手作り感あふれるパレードでしたが、思いがきちんと伝わるような、感動的なパレードでした。

後藤 純一

執筆者:後藤 純一

同性愛ガイド

  • Comment Page Icon



僕らのパレード


3月18日、僕らはつきあって9周年を迎え、10年目に突入しました。
奮発して苺の王様「あまおう」を買って、お団子といっしょに食べました(ダンナはあんこ好き)。『苺とチョコレート』ならぬ「苺とあんこ」です。

思えば、僕らがつきあいはじめた2001年って、ちょうど僕が東京レズビアン&ゲイパレードの実行委員会に引きずりこまれ(実行委員長の福島さんに腕をつかまれて脅され)た年でした。

ゲイシーンでいろんなことが盛り上がっていた(お祭りムードだった)時代だからこその勢いっていうのもあるし、メンバーに仲のいい友達がいたっていうのもあるし、まだ若かった(と言っても30過ぎ)っていうのもあって、「やるからにはがんばろう」って燃えてました。

ふつう、つきあいはじめた頃のラブラブな時期って、「今度は映画に行こうかな、買い物もいいな。早く週末にならないかな」なんて感じで、デートが待ち遠しくてたまらないものです。でも、僕は毎週末、仕事とパレードのことに追われていて、ダンナとゆっくり休日を過ごす日は皆無でした。

いつ「俺とパレード、どっちを取る?」と言われるか…ヒヤヒヤしていました。フラれてもおかしくない状況でした。でも、彼は「家に一人でいるのもなんだから」と、いっしょにミーティングに来てくれるようになったのです(そして、もれなくスタッフをやることにはめに…)

パレードを見たことも歩いたこともない人が、いきなりスタッフになって、休日返上で働いて、みんなと様々な苦労を共にして…8月のパレードはとてもとても熱かったのでした。

パレードが終わったあと、レインボー祭りの花火を見て泣いて、打ち上げ会場のバー「mf」で、僕らは再び抱き合って泣きました。(ダンナが泣いたのは、後にも先にも、この時と、『ムーラン・ルージュ』を観た時だけです)
 
あれから9年、何度もケンカしたけど別れずに続いてきたのは「この人とならきっとどんな苦労も乗り越えられる」という自信が持てたからだと思います。
そういう意味では、ホントに大変だったけど、今はパレードに感謝したい気持ちです。
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます