葬儀には行かなかったスコットさん
次の日の朝、山梨の親戚の家(→「夫のルーツをたどる旅 [1] …日系一世の悲話」)から電話がありました。まだ連絡は行っていないはずなのにと驚きましたが、「ブドウを送りたい」という用件だったそうです。「これも、おじいさんに親戚へ連絡する負担がかからなくていいように、というおばあさんの配慮だったのかな」と思わずにはいられない直美さんでした。
アメリカではおばあさんのご葬儀が行われましたが、スコットさんは出席しなかったそうです。直美さんもご家族も「帰っていいよ。こっちは大丈夫だから」と言っていたのですが、「今帰ったら、みんな、自分がナオミのそばにいないことのほうを心配するから」と……。たしかに、予定日までもう1週間をきっていたのです。
スコットさんは自分の気持ちを書いたスピーチの原稿を送り、ご葬儀では弟さんがそれを読み上げたそうです。
おばあさんの胸にも蝶が!
国際結婚では、夫婦のどちらかが自国を離れなければなりません。それは家族にもしものことがあった時、すぐには駆け付けられないということです。スコットさんも直美さんも、結婚を決めた時から既に覚悟していました。特にご高齢の親族とは、毎回「これが最後かもしれない」と思って、いつも涙ぐんで別れるそうです。そんな思いで撮ったおばあさんとの最後の写真。あらためて見てみると、何とおばあさんの洋服の胸にも、直美さんの着物やスコットさんのもう1人のおばあさんのチャイナ服と同様に、白い蝶が舞っていたそうです!! やはり強いご縁で結ばれていたのでしょうね。
→この蝶のエピソードは、「アメリカでの披露宴[2] 花婿がトスする物は」の5ページ目「ガイドの1押しシーン……不思議な絆」をご覧ください。
おばあさんとの思い出の1枚。2008年8月、スコットさん出演の和太鼓コンサートの打ち上げに、結婚式直前で来日していたご一家も招待されました。おばあさんと握手しているのは太鼓チーム会長の奥様。みなさん和やかでいい笑顔です |
ガイドの取材秘話 <3>
スコットさんのおばあさまには、ガイドの私も2度、結婚式でお目にかかっています。おじいさまとは少しお話しさせていただきましたが、おばあさまはいつもおじいさまの少し後ろにそっと寄り添っている感じで、控えめで慎ましやかな日本女性の奥ゆかしさを感じさせてくださる方でした。今回の取材で初めて亡くなられたことを知り、ついこの間までお元気だったのにと、私も夫もたいへんなショックを受けました。同時に私は、夫の祖母が亡くなった時のことを思い出しました(→「外国にいる家族の突然の死。その時あなたは」)。祖父もまた祖母と同い年で仲のよい夫婦であり、私たちの前で号泣したことがあったのです。
スコットさんのおじいさまが悲しみを乗り越えられ、これからもお健やかでお過ごしになることを、心より願っております。
そして、おばあさまのご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、いよいよ出産へ。
続きは「赤ちゃんがやってきた[2]」をどうぞ!
【関連ガイド記事】
今までの体験談シリーズ:
<私たちの国際結婚シリーズ Vol.1>「インド人の夫の誠実さに感動」
<私たちの国際結婚シリーズ Vol.2>「大雑把さと素直さが彼女の魅力」
<私たちの国際結婚シリーズ Vol.3>「ワーホリと大雪がご縁を呼んだ?」
<私たちの国際結婚シリーズ Vol.4>「親戚の猛反対を乗り越えて」
<私たちの国際結婚シリーズ Vol.5>「不思議と気が合った韓国出身の彼」
<私たちの国際結婚シリーズ Vol.6>「ベトナムを描き続け居場所見つけた国際結婚」
<私たちの国際結婚シリーズ Vol.7>「出会いはゲストハウス、始まりは靴箱から」