由緒ある献上茶
陸羽にゆかりの顧渚紫笋茶
浙江省のお茶の中で忘れてはいけないお茶の一つに長興縣顧渚山のお茶、「顧渚紫笋茶」があります。
このお茶は、有名な陸羽の「茶経」に登場するお茶として、つとに有名なお茶であり、産地である浙江省湖州市長興縣水口郷顧渚山一帯で作られるお茶なので、「長興紫笋」とも呼ばれています。
陸羽が生きた時代、唐代(AD618~907)には献上茶とされており、西暦770 には「貢茶院」と呼ばれる国営の製茶工場も作られ、一時期は3万人もの製茶職人がこのお茶の製茶に従事していたという記録が残っている、それこそ国を代表するような有名なお茶でした。
陸羽自身も深く関わった茶であり、『顧渚山記』(現存せず)を著わし、顧渚山の茶について書いたとされています。
また、七碗茶詩で有名な盧仝の『筆を走らせ孟諫議の新茶を寄せらるるを謝す』という詩で登場するお茶も、常州義興紫笋のお茶ではないかと言われています。
味わいも爽やかで上品なお茶
もちろん、この時代から元までは、いまのような茶葉の茶ではなく、蒸製の餅茶でしたが、明代(AD1368~1644)には散茶として作られるようになったようです。しかし、残念ながら、民国以降の度重なる戦乱に途絶えていたといわれ、このお茶が復刻されたのは、時代がくだった1978年になってからのことでした。
「顧渚」という名前は、浙江省長興県にある山から取られたもので、この山麓には竹林が沢山あり、昔からタケノコが名産となっていました。その名産品の、「笋」をとって、このような茶の名前になったとも言われていますが、茶の名前には諸説あり、茶聖「陸羽」が、芽は『紫』が一番、形は『笋』が一番として「紫笋」と命名したとか、あるいは、「中国のタケノコの香りに似た香りがする」ところから「紫笋」と名前を付けたとか、さらには、このお茶の芽が薄っすらと紫色で、その形状が筍のようだったからと言われています。