茶樹の分化
さて、この原産地で生まれた茶樹が、どのように3種類もの茶に分化して行ったかについては、まだまだ謎の部分が多いのですが、一つの原因として、氷河期による大規模な環境変化が考えられています。多くのツバキ科の植物は、ユーラシア大陸の熱帯・亜熱帯地域に広く分布したとされていますが、第四紀の氷河期に多くの植物が絶滅する中、茶樹は他のツバキ科の植物とともにヒマラヤの造山運動によって誕生した雲貴高原周辺の比較的暖かいところで生息していたために生き残ったといわれます。
茶樹は、その後、雲貴高原を源とする何本もの大河(ベトナムの紅河、ラオスのメコン川、中国の長江、珠江など)沿いに外縁部へと自然にその分布を拡大し、アジアの温暖な地域、照葉樹林帯であるインドのアッサム地方からタイ、ミャンマー北部の山岳地帯へ広がっていったと考えられています。
茶葉の分化
(「中国まるごと百科事典」地図を加工)
その過程で永い年月をかけてその土地の土壌や環境に適応し、耐寒性のある温帯に適した中国種、熱帯、亜熱帯に適したアッサム種や中国大葉種が誕生したと思われます。
したがって、人間の歴史が始まる以前には、茶樹は中国を中心に相当広い範囲で自生していたと考えられます。
これらの茶樹が、どのように人間によって利用されるようになるかは、この茶樹の広がりとはまた別のお話ですので、今後、喫茶の起源や茶文化の広がりなどを追いかけてみることにしましょう。