中国茶/中国茶の基礎知識

CHAとTEA(2ページ目)

中国で生まれたお茶なのに、CHAとTEAに別れるのはなぜでしょう。通説をちょっと違った角度から切り込んでみました。

執筆者:平田 公一

チャは陸路で

中国はヨーロッパにチャが伝播した当時でも様々な民族からなる他民族国家であり、また、唐代に「茶」に統一された”ちゃ”の漢字も、以前のものを完全に否定していたかというとそうではなかったようです。

当時中国は明王朝(1368年~1644年)が支配しており、茶の交易基地は福建省のアモイ、広東省の広州やマカオでした。

広東省では、比較的中央政府に近い漢民族支配であったことから、「茶」の文字が利用され、発音も広東語訛はあるにせよ、「チャ」「チャアー」となっています。

そのため、「広東から陸路で伝播した茶は、「チャー」、「チャア」、「チャ」、「チャイ」と発音されることが多い」と、一般的には言われています。しかし、それは本当なのでしょうか。陸路による伝播がその言葉をもたらしたというのは確かでしょうが、広東を基点としたという部分には、多分に疑問があります。

広東を中心に行われた茶の交易は、シルクロードを伝って陸路アラブへと伝播されたといわれます。しかし、アメリカ人ウイリアム・ユーカースの『All About Tea』(1935年)によると、アラブへは850年(唐代)には伝播されているといわれていますので、広東から陸路経由で入ったと考えるより、唐の都経由あるいは四川省経由で伝播したと考えるのがよいのではないかと思います。この時代はそもそも紅茶の時代ではありません。

モンゴルやその他の中国近隣諸国へも、茶馬貿易などが古くから盛んに行われており、近隣諸国支配政策の一環で茶葉が使われたことを考えると、唐代以降の中央政府の利用言語である茶の発音が伝播したと考えるのが適正ではないかと思います。

その意味で、朝鮮半島、日本も同様であろうと考えられます。



アラブ同様、朝鮮や日本へは広東から陸路でお茶がもたらされたから「チャ」の発音を使うのだとまことしやかに言われています。

しかし、日本に茶を最初にもたらしたのは遣唐使であり、唐代に都に渡っている僧侶が何人もいますから、直接「茶=ちゃ」として日本に伝播したはずで、広東が出発点の陸路を伝わったとするのは、はなはだ疑問といわざるを得ません。

ただ、ロシアへの紅茶の伝播(1618年)は、確かに広東省から陸路で送られているので、ロシアの「チャイ」という発音が広東から輸出されたのであるということは納得できるでしょう。

いずれにせよ、出発点は除外しても、福建省系の海路での伝播ではなく、シルクロードなどを通じた陸路伝播で「チャ」の発音が伝播したことは確かでしょう。

「チャ」の発音が伝播した国としては、韓国(ちゃ)、日本(チャ)、モンゴル(チャイ)、チベット(ジャ)、ベンガル(チャー)、イラン(チャイ)、ギリシャ(チャイ)、アルバニア(チャイ)、アラビア(シャー)、ロシア(チャイ)、ポーランド(チャイ)、ポルトガル(チャ)などを掲げることができます。

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