アラン・デュカスってどんな人?
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世界中のグルメが集うパリのレストラン |
アラン・デュカスと言えば今フランス料理界で最も旬なレストランプロデューサーかも知れない。実績としてミシュランの3つ星レストランを2つ(パリとモンテカルロ)持つ料理人なのである。モンテカルロのル・ルイ・キャーンズ、パリのアラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ、そしてニューヨークのアラン・デュカス・アット・ジ・エセックス・ハウス、さらにはパリ市内にカジュアルなレストランを、そして生まれ故郷に近いフランス南西部やプロヴァンスにオーヴェルジュを作るなど、今やフランス料理界で彼の動きは留まるところを知らない。
さらに彼の弟子たちはデュカス・ジェネラシオンとしてパリの名だたる星付レストランの料理長を務め、デュカスDNAを確実に継承、拡大を続けている。
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3ヶ月に一度は世界中の自分の店を回ると言う |
1987年にルイ・キャーンズの料理長に就任したのは若干30歳の時。3年後の90年に三ツ星を獲得した時から彼の料理人としての名声が急速に高まり始める。
しかし現在の活躍ぶりには必ず地味な下地があるものだ。そのあたりのことを知りたくて今回来日した彼にインタビューを申し出て、インターネットメディアとしては初めて単独インタビューに成功した。と言ってもスタッフを交えたざっくばらんな懇談会。
夕刻から始まるインタビューの前に彼は人形町の煎餅屋に行っていた。煎餅を焼き上げるシーンは刺激的だったようだ。日本橋水天宮界隈は今も歴史を感じさせる軒が並ぶ。歴史の断片が都会の一部分として残っているところが面白いエリアだ。日本人より外国人のほうが興味深く映るのかもしれない。
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田舎の田園風景に虹が架かる |
待ち合わせの時間に少し遅れて現れたアラン・デュカス。眼光鋭い視線が印象的なビジネスマンといった印象だ。グループ・アラン・デュカス日本法人のルノー氏が紹介してくれたのだが、オールアバウトを知っていたのは意外だったしベージュ東京の記事を読んでいたことにはもっと驚いてしまった。
世間話を適度に済ませ、まずは生まれ故郷ランド地方のカステルサラザンについて聞いてみた。
「海と山にそれぞれ80キロ。360人の小さな町なんだ。16歳までそこで過ごしたけど食材にとても恵まれた環境だった。実家は農家だった。父はもう引退したけどね。」
■幼い頃は日常的にどんなものを食べていたのですか。 |
ランド地方は豊富な食材で有名だ |
「農家だったので、とにかく季節の食材が豊富だったね。春にはアスパラなどの春野菜、川魚の季節になると川で釣りをしたりして楽しんだものだよ。取れたての新鮮なトマト、キュウリ、秋にはシャンピニオンをそのままサラダにして食べるのがたまらなく好きだったんだ。まだ
取れたての温度のまま新鮮野菜を食べることが本当の贅沢だ。」