ムネオ先生、ガン患者の励ましに「自分は幸せ」
平成9年12月7日 現職国務大臣でNAHAマラソンを走る。後にも先にも、現職大臣でフルマラソンを完走したのは鈴木宗男先生だけらしい。沖縄県警のSPが交代で伴走に付く |
で、親泊さんが「委員長、10回を数える記念大会です。スタートラインにだけでも立ってください。走り出したらすぐ止めていいですから。頼みます」ということでした。私も人がいいから「あい、わかった」と出かけたんですよ。でも、走り出したら途中で止めるわけにはいかんですよね。たまたま走ったら3時間44分で走っちゃった。
ガイド:途中で止めるつもりが42km走るなんて考えられないですね。確かに政治家や市長さんが地元の大会に出る例はありますけど、たいてい一番短い種目でしょう。
ムネオ先生:そう。そして沖縄で感激したのは沿道のファン、サポーターがすごい。もう踊りは踊る、太鼓は鳴らす。42.195kmを退屈せんですよ。ただ、ここを走った時ね、20kmぐらいまでは良かったけどね、20km過ぎてからきつい。特に30kmからの5kmというのはね、何でこんなもんに出たかと思いましたね。ところが途中で止められないですよ。とにかく根性で走り抜いたなあ。
走ったらまたね、これ病みつきになるんですね。で、翌年2月のおきなわマラソンに出た。おきなわマラソンがまたきついんですね、アップダウンが多くて。これは嘉手納基地の中を走ります。で、ぼくは沖縄で7回フルマラソンを走ってますよ。
平成9年に現職大臣でNAHAマラソンを走っているんですよ。このときは4時間半かかっているんじゃないかな(4時間40分06秒)。さすがにやっぱり大臣やってるしね、年ですねこれは。当時49歳でしたから。
ガイド:年というより……、今年の東京マラソンのほうが速いんですから、やっぱり年じゃないですよ。
ムネオ先生:大臣では、時間が取れず走り込みが足りなくてね。まったく練習しないで走ったんですよ。護衛に沖縄県警の駅伝部の4人が付いてくれたんですよ。で、途中で止めようと思っても「大臣、走れ! 走れ!」と。ヘロヘロのゴールでしたね。やはり走り込んでないとダメですね。