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マラソン42.195kmについての雑学

マラソンを走るにあたって、広がる素朴な疑問。その最大の疑問は「距離」にある。誰が決めたの?どうやって測るの?誤差はないの?そんな疑問に答えます。

谷中 博史

執筆者:谷中 博史

ジョギング・マラソンガイド

マラソンが42.195kmになるまで

陸連ルールブック
陸上競技の法典「陸上競技審判ハンドブック」(上)2,000円と「陸上競技ルールブック」2,400円。いずれも財団法人日本陸上競技連盟編著、あい出版発行
マラソンの名前の起源は、ギリシアにおけるマラトンの戦いにあると伝えられています。紀元前490年、マラトンに上陸したペルシャ軍をアテナイ軍が破り、勝報をフェイディピデスという兵士(一説にプロの飛脚)が伝令となってアテナイに伝えました。彼は城門に至って「我が軍勝てり!」と叫んで事切れたとか。その距離は約40kmだったとのことです。

この故事にちなみ 1986年にアテネで第1回のオリンピックが開催されるにあたり、その目玉レースとして長距離走を実施しました。その長距離走をクーベルタン(一説にフランスの言語学者で歴史家のミシェル・ブレアルの提唱)は「マラソン競走」と名付けました。

では、オリンピックでのマラソンの距離は何kmなのか? 第1回アテネ大会(1894年)での距離は、36.909km、その後再計測され36.75kmでした。優勝タイムは2時間58分50秒だったので、もしフルマラソンならあと23~24分はかかっているはず。サブスリーにも遠い記録でした。

この後、第7回アントワープ大会(1920年)まで、マラソンの距離は、40km前後と一定していませんでした。その中で第4回ロンドン大会が42.195kmでした。本来、42kmで設定していたものが、王女アレキサンドラの「スタートを城の窓から見たい、ゴールは競技場の我がロイヤルボックスの前に」との注文に距離が延び、42.195kmになったといいます。のち、第8回パリ大会からマラソンの距離を固定しようということになったとき、ロンドン大会での42.195kmが採用されました。もし、王女がマラソンに興味を持っていなければ、マラソンは40kmになっていたかもしれません。

アテネでのマラソンは欧米諸国の陸上ファンに大きな影響を与えました。各地で40kmほどのレースが行われるようになります。その一つが今に続くボストンマラソンであり、その第1回大会は1897年のことです。

マラソンはドラマティック・ディスタンス

さて、ロンドン大会で最初にゴールしたピエトリ(イタリア)の記録は、2時間54分46秒。最初のフルマラソンサブスリーランナーがフルマラソン金メダリスト、と言いたいところですが悲劇が待っていました。彼はゴール直前ふらふらになり、係員が手を貸したのです。このために失格となり、ジョン・ヘイズ(米国)が繰り上げ優勝となりました。タイムは2時間55分19秒。最初にアテネまで走り絶命したフェイディピデスにせよ、ピエトリにせよ、おそらく脱水症状か熱中症で倒れたのだと思いますが、マラソンのドラマ性はこの競技の因縁と無関係ではないでしょう。そしてこの42.195kmという距離も。
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