沖縄、長崎、広島、京都
フランスのデュラン・デュランと呼ばれたアンドシーヌ(Indochine)・・・日本語的に書けば「インドシナ」。タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマー(旧ビルマ)、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポールといった国々です。現在も活動している息の長いグループですが、サード・アルバム『3e SEXE(ジュピターの帰還)』は、日本盤がリリースされています。フランスのアンドシーヌ・コレクターに譲ってくれとお願いされて、彼らのベストCDと交換した覚えがあります。その前に出たのが、かなり手抜きな日本ネタ・ジャケの『Le Peril Jaune』(1983年)。荒純也さん曰く・・・「Okinawa」て曲では、「オーキーナーワーウォウウォウ♪」と歌ってます。サウンドは、沖縄っぽいのか、ぽくないのか、沖縄っぽくしようとしてるのか、それすらも不明瞭な、何々風と形容しがたい中途半端さがいとおしい。「Shanghai」なんて曲もありますが、サウンドはデュラン風ニューロマ。ルックスは、デュランには程遠く、不合格です。
ポリフォニック・サイズ(Polyphonic Size)は、ストラングラーズのJJことジャン・ジャック・バーネルがプロデュースしたベルギーの実験的テクノポップ・バンド。彼らは、1981年の夏を日本で過ごし、YMOのメンバーとも会っている。ジャケ写は、5曲入りミニ・アルバム『Mother's Little Helper』(1982年)ですが、「Kyoto」と「Nagasaki Mon Amour」を収録。
ジャケ的には、やはりシングルです。左は、ベルギーで最初にリリースされたシングル『Nagasaki Mon Amour』(1980年)で、「Hiroshima 1945」がカップリングされています。右は、「Kyoto」とカップリングされたフランス盤シングル『Nagasaki Mon Amour』(1981年)。「Nagasaki Mon Amour」は、サビの「長崎、モナムール」そして「マイ・ゲイシャ(そう聴こえる)」以外、基本的にはフランス語で歌ったコールドなテクノポップですが、「Kyoto」は立派な日本語ソングで、日本人らしき女性が「これは何ですか?それは何ですか?・・・(後、意味不明)」と話しかける和風メローディーとホワイト・ノイズの融合。
これらのジャケは、POLYPHONIC SIZEを運営しているフィリップ・ドロさんに提供してもらったのですが、こちらは、シングルの告知用ポスター。ドロさんには、フレンチ・シーンについていろいろと教えてもらったのですが、彼曰く、ポリフォニック・サイズとはストラングラーズ+ゲンズブール+プラスチックス。
これは既出ですが、エール(Air)の「Alone In Kyoto」は、ガーリィー教教祖のソフィア・コッポラ監督の『Lost In Translation』で、スカーレット・ヨハンソンが京都を訪れるシーンで使われていましたね。
◆フレンチ・ヌーヴェル・ポップ
最後は、日本語ソングとして「戦争反対」もしたカルチャー・クラブ(Culture Club)の「Hiroshima」。4枚組ボックス・セット『Culture Club Box Set』(2003年)に収録されています。流石に持っていませんが・・・
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