ピコ太郎は正真正銘の「お笑いテクノ」

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PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン) amazon.co.jpより引用

All Aboutテクノポップ読者の皆様、ご無沙汰しております。このところ、あまり流行音楽を聴いていなかったのですが、ピコ太郎の「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」をYouTubeで視聴してしまって、久しぶりにハマりました。あれよあれよという間に全世界を席巻し、9月30日~10月6日の1週間で、YouTube動画が1億3400万回再生(関連動画含む)され、週間再生回数世界一を記録。1分9秒という異様に短い(配信版楽曲は45秒)曲であることも、中毒症状のリピーターを生んだのではないかと推測しています。計画性があったのかは不明ですが、労力に対する効率が極端に高い曲です。



多くの国に独自の進化(または退化)を遂げるガラパゴス化したダンスミュージックがあります。日本のパラパラ、韓国のポンチャック、インドネシアのファンコット、ポーランドのディスコポロ(最近はヒップホッポロというのもあるらしい)、バルカン半島のチャルガやターボフォークなんかもその類です。僕はそれらを総称して、GDM (Galapagosized Dance Music)と勝手に命名しました。GDMは意識が高すぎる人にはなかなか評価されないのですが、ダサさが突き抜けて、キッチュな魅力になっているのです。EDM (Electronic Dance Music)の次に来るのはGDM!なんて……。楽曲からもヒョウ柄ファッションのヤンキールックからも、「PPAP」には土着性のあるGDMの匂いがします。

ピコ太郎は誰だとか「PPAP」に関する論評はかなり出回っていますので、手短にまとめます。一応、ピコ太郎は古坂大魔王(古坂和仁)に酷似したキャラクターという設定ですが、ここでは古坂大魔王という前提で話を進めます。古坂大魔王は、笑いコンビ・底ぬけAIR-LINEのメンバーの一人。底ぬけAIR-LINEは『タモリのボキャブラ天国』にも出演していたので、聞き覚えはあるのですが、特にテクノという印象は持っていませんでした。しかし、1999年の『爆笑オンエアバトル』では、「テクノ体操」というネタをやっており、実はルーツがテクノ(こちらはテクノポップ的)にある人です。

その後、古坂大魔王は2003年よりNO BOTTOM!としてテクノ色(こちらはテクノ・ハウス寄り)が強い音楽活動に転向し、5枚のアルバムを発表しています。しかし、僕自身も全くノーマークで、売れた形跡はありません。

サンバ・ジャ・ネイヨ・ネブタ・ダヨ (YouTube)

ピコ太郎と名乗って、登場したのは意外と古く、2011年となります。その5年後、こんなすごいことになるとは誰も想像しなかったでしょう。「PPAP」は、どちらかと言えば、底ぬけAIR-LINE時代の延長上にあるお笑いとテクノポップの融合をした作品です。世界で初めて認められた「お笑いテクノ」の登場です! 「お笑いテクノ」には、お笑いの人がテクノをするというケースと、お笑いとテクノが共存するケースの二つのパターンがありますが、クリエイターでもあるピコ太郎の「PPAP」の場合は両者を兼ね備えた正真正銘の「お笑いテクノ」と言えます。

では、「お笑いテクノ」の歴史を紐解きましょう。

スネークマンショーから継承される「お笑いテクノ」

「お笑いテクノ」は、スネークマンショー(桑原茂一、伊武雅刀、小林克也)から始まったと言ってもいいでしょう。1976年にラジオ番組の企画として始まり、オリコン1位となったYMOイエロー・マジック・オーケストラ)の『増殖』(1980年)へのギャグ挿入をきっかけに、ニューウェイヴ少年少女のバイブルとなりました。続く単独アルバム『スネークマンショー(急いで口で吸え!)』(1981年)でもその勢いは衰えず、収録された「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」はBlondieの「Rapture」が元ネタの元祖日本語ラップでもあります。スネークマンショーの素晴らしさは、「レコードで何度リピートしても飽きない」……この魅力につきます。

スネークマンショー(急いで口で吸え!)(amazon.co.jp)
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スネークマンショー(急いで口で吸え!)


咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3 (YouTube)
桑原茂一さんインタヴュー (All Aboutテクノポップ)

スネークマンショーは、サウンドというよりも文脈的にテクノと言えますが、ギャグを挟んだテクノポップ・アルバムのフォーマットは、同じくYMOがSETとコラボした『Service』(1983年)、『THE ART OF NIPPONOMICS』(1984年)や音版ビックリハウスの『逆噴射症候群の巻』(1982年)、『ウルトラサイケ・ビックリパーティ』(1982年)、そしてその追従者的オムニバスアルバム『明るい家族計画』(1983年)や『Technical Music Planning』(1984年) へと続きました。

90年代以降においても、GEISHA GIRLS(ダウンタウン)の『THE GEISHA GIRLS SHOW』(1995年)、KOJI1200(今田耕司)の『アメリカ大好き! 』(1996年)、ロケットマン(ふかわりょう)の『フライング・ロケットマン』(1996年)、そして本家スネークマンショーの桑原茂一がプロデュースした爆笑問題+長井秀和の『増長』(2000年)へと引き継がれていきました。

中でもTOWA TEIがプロデュースしたKOJI1200(後にKOJI12000)の「ナウ・ロマンティック」は、その後のニューウェイヴリバイバルを先駆けた名曲として再評価されるべきです。

アメリカ大好き! (amazon.co.jp)
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アメリカ大好き!


ナウ・ロマンティック (YouTube)

スネークマンの蛇足 (All Aboutテクノポップ)
侮れないふかわりょう(ロケットマン) (All Aboutテクノポップ)

テクノポップと漫才ブームがシンクロした「お笑いテクノ」

もう一つの重要な潮流は、漫才ブーム由来の「お笑いテクノ」です。YMOに始まるテクノポップ黄金期は1979年~1982年あたり。それとほぼ同時期に起こったのが、漫才ブームです。この二つのブームがシンクロする形で、多くの漫才ブーム発のお笑い芸人たちが「お笑いテクノ」を残しました。後にテクノ歌謡として再発掘された楽曲とも重複するものも多いです。

漫才ブームの中で、最大のヒット(オリコン2位)となったのが、ザ・ぼんちの『恋のぼんちシート』(1981年)。前年に『ジェニーはご機嫌ななめ』を大ヒットさせたジューシィ・フルーツのシングル『なみだ涙のカフェテラス』のカップリング「恋はベンチシート」のタイトルをもじって、Darts(元々はThe Rays)の「Daddy Cool」を参考に近田春夫が作詞・作曲、鈴木慶一が編曲してできあがった曲です。楽曲自体は元ネタからもドゥーワップ的ですが、その生い立ちや制作陣はテクノポップ的です。


THE BONCHI CLUB +7 (amazon.co.jp)
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THE BONCHI CLUB +7

当時、若手の中では勢いのあったのが、山田邦子。『山田邦子 ファースト』(1981年)に収録された「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)」が日本語ラップの初期名作として有名ですが、「つっぱりハイティーンガール -ちょっとそこ行くお兄さん-」「ルンルンルン -夢みる17才-」はテクノポップと言える作品です。続く『贅沢者』(1982年)では、細野晴臣作曲のラップ・テクノ歌謡「哲学しよう」とお笑いテクノとお笑いラップの先駆者でもありました。

ゴールデン☆ベスト 山田邦子 (amazon.co.jp)
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ゴールデン☆ベスト 山田邦子

漫才ブームは、『花王名人劇場』や『THE MANZAI』と言った番組が火付け役となりましたが、前述のザ・ぼんち、山田邦子も含めて「お笑いテクノ」を輩出したのが、『オレたちひょうきん族』です。『ベストテン』をパロディーした『ひょうきんベストテン』のコーナーにも人気がありました。それほどヒットはしませんでしたが、その象徴的存在は、うなずきトリオの『うなずきマーチ』(1982年)です。うなずきトリオとはツービート、B&Bと紳助竜助の脇役的相方3人。大瀧詠一が作詞・作曲したナイアガラ風お笑いテクノとなっています。

ビートたけしの『俺は絶対テクニシャン』(1981年)も確実にテクノ歌謡(作曲:遠藤賢司、作詞:来生えつこ)です。「ピコピコパコパコスコスコキンキン……」という歌詞からもテクノ・スピリットが伺えます。それ以外にも、忌野清志郎+坂本龍一の『い・け・な・いルージュマジック』のパロディーとして島田紳助+明石家さんまの『い・け・な・いお化粧マジック』(1982年)、春やすこ・けいこの『ハートブレイク・ホテルは満員』(1981年)なども「お笑いテクノ」として挙げられます。

『オレたちひょうきん族』のレギュラーだったヒップアップ片岡鶴太郎は、「お笑いテクノ」的アルバムも出しています。ヒップアップの『ザ・グレイト・ショー』(1982年)は、当時ヒットしていた曲のパロディーで出来ているアルバム。収録の「肉感アルバイトニュース」は、YMOのパロディーになっています。片岡鶴太郎がつるたろー名義でリリースした『キスヲ、モット キスヲ・・・』(1982年)は、今井裕(サディスティック・ミカ・バンド・IMINATION)、赤城忠治(FILMS)などを迎えて、小森のおばちゃまモノマネも交えて、無国籍ニューウェイヴの世界を作り上げています。

もう一つの「お笑いテクノ」の潮流として、萩本欽一が育てた欽ちゃんファミリーもいました。『欽ドン』からイモ欽トリオの『ハイスクール ララバイ』やわらべの『めだかの兄妹』などの大ヒットを生み出したので、ご存知の方も多いでしょう。これだけで記事が1本書けてしまいそうなので、また「お笑いテクノ」続編としていつかご紹介したいと思います。

以上、80年代初期をルーツとする「お笑いテクノ」の輝かしい歴史をピコ太郎からたどってみました。



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