テクノポップ/YMO関連

桑原茂一さんインタヴュー~Part 1 ウルフマン・ジャックに憧れて

スネークマン・ショーの桑原茂一さんにインタヴュ-。全5回のシリーズとなります。第1回は、「Rolling Stone」、ウルフマン・ジャックから、小林克也さん、伊武雅刀さんとの出会いまで。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

ひょんなことから、僕の運営するPOP ACADEMYを見てくださった桑原茂一さんから電子メールを頂いた。桑原さんは、Close Up!記事『スネークマン症候群』でも取り上げさせてもらった、小林克也さん、伊武雅刀さんと3人でスネークマン・ショーをしていた「正義と真実の人」(スネークマン・ショー聴いた人なら分かりますよね、この意味)です。現在は、クラブキングの代表である。

ダメモトでインタヴューをお願いしたところ、快く引き受けてくださった。3月4日、エンタメ担当のブライアン飯野さんと共に、クラブキングへと伺う。案内された5階の部屋には、数多くのCDとアナログが収納されていて、思わずチェックを始める。

初めてのインタヴュー(今までのは、電子メールだったので)と言う事もあり、僕は、少し緊張気味だった。どこから聞いていこうかと思っていたわけですが、挨拶をするやいなや、桑原さんは、おもむろに落ち着いた口調で話し始めてくださる。

――今日はよろしくおねがいします。

スネークマン・ニュース・ショーを始める直接の理由は、9・11ですね。過去のものは、『死ぬのは嫌だ!恐い。戦争反対!』で終わりなんですけど、ワーナーでの復刻版に関しての必然性は当時、日本の音楽ラジオ番組としてどんな選曲をしていたかを記録として残しておきたかったからです。

残念ながらあれを企画したプロデューサーの意図は、音楽より埋もれているお笑いを復刻したかった訳ですが。しかも、他のメンバーの許諾を取っていなかった。再発は三人の合意の上で再開したいですね。

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で、当時スネークマンショーを始めた背景には、ウルフマン・ジャックが出ていた『アメリカン・グラフィティ』(写真はDVD)の世界観にすごい憧れがあって、しかも自分は、子供の時から「9,500万人のポピュラーリクエスト」などのラジオ番組で音楽を聞いてきた事が、自分のルーツになっているので、ラジオというメディアが特別な存在だったのす。

だから、もしラジオ番組が作れるのならウルフマン・ジャックのような想像力を生かしたいなと、アメリカン・グラフィティの時代の音楽とか大好きだったドゥー・ワップ・ミュージックとかその辺りのムードで、ノスタルジックなんだけど、自分にとっては新鮮でしたからね。

当時「Rolling Stone」という雑誌をやっている時にお付き合いのあった代理店の人が、「面白い人がいるよ。」と言って、「スコッチ・バンク」というVANが経営していたバーのBGMをウルフマン・ジャックのものまねでDJしていた小林克也さんを紹介してくれたんです。「あー、こんなすごい人がいるのか!」と思って、その時はそれで終わったんです。

――それは、70年代のいつ頃だったんでしょうか? 私も、「Rolling Stone」が創刊されたのは、なんなく記憶にはあるんですけど。

君らの年代では、ちょっと早過ぎない?

――いえ、多分、中学生くらいだったと思います。

1973年が創刊で、準備が1年ぐらい前から始まったから、自分が、21歳位だったと思います。その後、ロサンジェルスの空港での編集長逮捕という衝撃のニュースが届いて、そのまま廃刊となるわけです。
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