モンスター親の予備軍、モンスター妊婦?
昔から、子どもを大切にするあまり非常識ともとれる言動をしたり、またはもともと無軌道なタイプだったりで、教師を困らせる親はいたはず。なぜ今ここにきて、常識に欠けた要求を突きつける保護者たちが「モンスターペアレント(親)」と命名されて広く報道されるまでに至ったのでしょうか? この現代に、突然困った親が大増殖したのでしょうか?親がモンスター化したのは、やはり子供を少なく産んで大事に育てるという少子化の影響だといわざるを得ません。それだけ子育てにも、教育にも親の関心・関与が高くなっているのです。
いみじくも、子どもの教育より手前の段階である出産の現場でも、既に「モンスター妊婦」への対応で疲弊し切った産科医たちの実情が、産婦人科医によるエッセイ『燃え尽きたら』サイエンス朝日)などで報告されています。例えば、医師が薦めない形で出産に挑み、その結果を医師の過失として訴訟を起こす女性。自身が高齢であることを受け入れられず、不妊が解決しないのを医師の怠慢であると責める女性。
キャリアや人生にひと段落ついた女性の出産が自己実現の意味合いをまとってしまった辺りから、このような訴訟が増えたと指摘されています。仕事の成功も結婚も手に入れた、「さぁ、次は絶対に子どもだわ!」と努力だけで思い通りになるわけではないものを、思い通りにしようとすることで本質が見失われてしまう、そんな瞬間があるのかもしれません。
モンスター親に共通して見られるのは、子どもへの愛と同時に、自己愛の強さ。子育てに自己実現を映してしまう傾向の強い人が、モンスター親の予備軍となるのではないかと恐れる指摘は決して的を外してはいないのではないでしょうか。
モンスター化した親は周囲の適切なサポートがなく、客観性を失った状態にあります。「絶対にこうあらねばならない」「悪いのは教師(医師)だ」と一方的に思いつめたモンスター親になる可能性は、実は誰にでもあることなのです。
あなたはモンスターペアレントを笑えますか?
確かにこれまでにご紹介したモンスターペアレント(親)は、客観的に見て非常識で常軌を逸したものに映るかもしれません。しかし、どんなに冷静な親であっても、確かに子育てとは戸惑い迷うもの。子どもを心配するあまり、冷静さを失ったり、常軌を逸するのを私は責めることができません。個人的な感想ですが、母親がモンスター化するのは子育ての不安に起因するものが多く、父親がモンスター化するのは、子どもへの攻撃を自分への攻撃と感じるなどして自尊心が傷つけられたことによるものが多いのではないかと思います。
どちらにしても、やはり学校と保護者のコミュニケーションが密に取れていて、お互いに顔を知り、お互いの置かれた状況が想像できていればモンスター化は防げるのではないか、そのような気がしています。顔が見える学校と顔が見える保護者ならば、極端な事態に陥る前に問題は解決するはずなのです。
モンスターペアレント(親)とは、あくまで学校教員の立場から見たもの。それぞれの保護者・子どもにはそれぞれの事情があるはずですが、それが果たして教員と共有されているでしょうか? 共有がされていないとき、時として保護者の物言いが「怪物的」と映るときがあるかもしれません。そして保護者はぜひ、ここに描かれたモンスター親の姿を他人事として笑うのではなく、「自分は子どもの学校ときちんとコミュニケーションできているか?」「自分の姿はモンスターにはなっていないか?」と客観的な視点を得る機会にしてみてはいかがでしょうか。
関連コンテンツ:
⇒All About[子育て事情] 関連記事
「何のために勉強するの」にどう答えますか
豊かさの果て。無気力に染まる子どもたち
格差社会の教育に「安全圏」はあるの?
「言ってはいけない」子どもへのひと言とは?
ハンカチ王子の家庭に学ぶ 親子関係の秘訣
「この夏は、子どもときちんと対話しよう。夏休み・子どもと向き合う会話術」
「ネット引きこもり・親の対処法」