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紳士靴、この10年を総括する! その2(3ページ目)

西暦2000年頃からの紳士靴の10年を振り返る後編は、フランスとイタリア、それに日本の靴について振り返ってみたいと思います。そして、これからの紳士靴の作り手とユーザーとの関係についても考えてみます!

飯野 高広

執筆者:飯野 高広

靴ガイド

努力の目立った日本の紳士靴!

山長・長伍郎
三陽山長になる前、すなわち山長印靴本舗時代のチャッカブーツ・長伍郎です。日本製の紳士靴が見直される大きな起爆剤になった山長。現行品と多少異なりやや硬めながら弾力性に富んだ履き心地は、今でも実に新鮮です。


でもって、我が日本の紳士靴の10年はと申しますと、一言で申せば色々と難しい状況の中、相当奮闘していたのではないかな、という印象です。従来から定評のあった緻密な作りこみだけでなく、木型やデザインの設計に関しても、欧米の靴と肩を並べられるものが頻出できるようになってきたと思います。既製靴の世界でその先鞭を切ったのが、上の写真の山長印靴本舗の靴。現在は三陽商会の一ブランドである三陽山長ですが、これもデビューしたのが2000年の秋です。

ネーミングからして和魂洋才の精神が全面に出たその靴を、新宿の伊勢丹で初めて見た時の衝撃は今でも忘れられません。ややバネ感に富む履き心地は未だに新鮮で、欧米のものの単なるコピーではなく、良い意味で日本にしっかり根を下ろせる、新たな解釈が可能な紳士靴を創造しようとする気概を感じさせてくれたのです。その後この靴ブランドは木型やデザインを顧客の流れに合わせて少しずつ変えてゆくだけでなく、鞄やベルト等も扱うなど独自の展開を遂げて行ったのは皆さんご承知でしょう。

山長から「成せば成る」的な刺激を受けた日本のメーカーは、想像以上に多い筈です。少量限定生産とならざるを得ないためインターネットでの予約開始から僅かな時間で完売が続出する大塚製靴のOTSUKA M-5や、注文靴の意匠を巧みに落とし込んだビナセーコーのペルフェットなど、それぞれが行える範囲で独自の工夫を凝らして、新たな「日本製既製紳士靴」の地平をこの10年で少しずつ切り開いて行ったのですから。大御所であるリーガルもこの春、つまり2009年に遂にジョンストン&マーフィーのライセンス生産を終了し、自社ブランドであるシェットランド・フォックスを復活させたのも、これらの流れとは決して無縁ではないですよ。

このような動きを即した一番の貢献者は、何と言っても履き手・ユーザーでしょう。1990年代の紳士靴は、ある程度以上の品質が求められるゾーンではインポートのものが市場を席巻した時代だったと申しても過言ではありません。デザインの美しさや使っている革質のみならず、特にかかと周りや土踏まず部のフィット感が国産のものより優れていることに一部の履き手が気付いてしまい、価格が若干高くても快適性を求めそちらに雪崩のように移行してしまいました。
「足幅がJISの3Eなんて緩すぎて履けないのに、日本の靴メーカーはどうしてこればかりなの? 何故D、せいぜいEがないの?」
そう、日本人の足形の変化もありますが、特に「履き心地」について一部のユーザーの感覚が、インポートの紳士靴を通じて我が国の多くのメーカーが想定していたより遥かに鍛えられてしまった訳で、そんな彼らをもう一度振り向かせるための懸命な努力が、日本の紳士既製靴では正に存在理由を賭けて、ちょうど2000年頃から様々なされて来たのです。その成果が本格的に表れてくるのが次の10年かも? 正に今が踏ん張りどころです。


最後のページでは、日本の紳士靴をめぐるもう一つの動きを通じて、2010年以降の紳士靴の在り方を考えてみます。
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