ジュエリー/その他のジュエリー関連

イタリア3都市ジュエリー博物館めぐり-3 ヴェネツィア、サン・マルコ聖堂(3ページ目)

連載第3回はヴェネツィアより、《サン・マルコ聖堂》をご紹介。昔日の栄華が忍ばれるこの聖堂の白眉は、数千の宝石を散りばめた黄金の「パーラ・ドーロ」です。さて、パーラ・ドーロとは…。

執筆者:本間 恵子

さて、聖堂の内部をたんのうしたら、次は上階の「博物館(GALLERIA)」に登ってみましょう。聖堂を入ってすぐの右手にある狭い階段が、その入口です。ここには宝飾品はありませんが、有名な4頭の馬のブロンズ像を見ることができます。サン・マルコ広場を見下ろす絶景のバルコニーにも出られますので、ぜひ足を運んでみてください。

ブロンズの馬は、1204年、第4次十字軍のコンスタンティノープル掠奪によってヴェネツィアにもたらされたもの。イスラム教徒の本拠地、エジプトを攻めるために出陣した十字軍は、本来の目的を忘れて脱線に脱線を重ね、同じキリスト教(ギリシア正教)を奉ずるビザンティン帝国の首都、コンスタンティノープルを占領してしまいました。その際、ビザンツのめぼしい美術品は、十字軍の主力として参戦したヴェネツィア共和国の戦利品になったのです。

馬だけでなく宝物室のイコンも、パーラ・ドーロのイコンも、このとき掠奪された美術品の一部でした。1209年にヴェネツィア共和国は、コンスタンティノープルから届いたばかりの見事なエナメルを使って、パーラ・ドーロをより大きく壮麗に作り直しています。

酸鼻を極める暴虐が行われたと悪名高いコンスタンティノープル掠奪ですが、もしも、第4次十字軍がまっすぐにエジプトに向かっていたら、そしてコンスタンティノープルの占領がなかったら……。1453年、トルコに破れて帝国が滅びたとき、これらキリスト教の聖画はイスラム教徒の手で徹底的に破壊されてしまったに違いありません。

掠奪によって破壊を逃れた、不運にして幸運なビザンツの芸術。波瀾万丈だったであろうイコンの来し方を振り返るとき、その輝きは一段と凄みを増すように思えてきます。

 

 

▲左:ブロンズ像「サン・マルコの馬」。
コンスタンティノープルから奪われ、共和国のものとなった後、
ナポレオンに気に入られ持ち去られてしまった馬たち。
結局、ナポレオン失墜後にヴェネツィアに返還されました。

右:博物館の売店にあるガイドブック。▲
薄っぺらながらも解説は本格的(2.50ユーロ)。
日本語版も、たまに並んでいます。

■サン・マルコ聖堂
Basilica di San Marco

住所:Piazza San Marco
電話:041-5225697
開館時間:9:30~17:00(夏期)、9:45~16:30(冬季)、14:00~16:30(日祝)、無休
入場料:2ユーロ(宝物室)、1.50ユーロ(パーラ・ドーロ)、1.50ユーロ(博物館)
アクセス:1番、82番のヴァポレットでS.Marco船着き場、またはS.Zaccaria船着き場より徒歩5分

上記のデータは、2002年8月に取材した際のものです。

 

続けて
連載第1回「ローマ、ヴィラ・ジュリア博物館」を読む ≫
連載第2回「フィレンツェ、銀器博物館」を読む ≫
関連チャネル「トラベル・レジャー」へ行く ≫
トップページに戻る ≫

(Page : 1 2 3)

  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 6
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます